第15回サイバー歌会 歌評

10 満開の花の後ろの空白は黒く塗りこめサクラクレパス

耳の奥に響くは"Paint It Black" _ 先頃来日したローリングストーンズの初期の名曲「黒く塗れ」。(そうこじつけてしまうと、どうしてもシンパしてしまいがちに…)青春のいらだちは、ときとして幼児期になじんだアイテムを行使する。「サクラ」の重複はもったいない。折れるほどに塗り込め!(誰鬼)

花(桜)の題で、サクラクレパスを持ってきたのは面白いと思いますが、肝心の「サクラクレパス」が生きてないと思います。他の画材と比べ、サクラクレパスの陰影のない色──黒にしてものっぺらぼうな感じですね──がむしろ、マイナスに働いているのでは?(村本希理子)

「満開」だから、サクラクレパスが効いていると思う。花そして繰り返してサクラ。サクラだらけなのです。(大屋邦子)

これは絵に描くときの情景でしょうか。満開の花の向こうとか、先といえば空です。後ろの空白ですね。花がくっきり見えてきます。ただ、パソコンの画面であれば勘弁して欲しいです(字が読みにくいのです)。今日のお茶会で出された茶碗に真っ黒の茶碗かと思っていたら、外側の下のほうで手に持てば隠れてしまうところに椿の花が小さく横並びに彫ってあり、下地の茶碗の色の薄い茶色が見えていました。けして目立たずだから、よけいに目立つ、なかなかのものでした。絵も歌も、良く観て感じるところが似ているのでしょうか。どんな作品なのかと興味を持ちました。(mohyo)

黒をバックにすると桜の花は浮き立って美しいです。しかしこの歌では、桜を浮き立たせせることでなく、空白を黒く塗りこめることに重点を置いているように感じられます。満開の桜の後ろを「空白」と表現することは、欠落感を表わしているのではないでしょうか。(やすまる)

クレパスの商標を持っているサクラクレパス。この言葉の響きに幼少の頃の郷愁を感じます。あるいは「神田川」の「24色のクレパス」を思い出すかもしれません。成功した他者に対する自分のやるせなさ、自虐的感情を満開の桜の背後の黒色として表現しと解釈し、そのツールに若き(幼き)頃のアイテムである「サクラクレパス」を用いたことに技巧を感じます。(村田馨)

「花の後ろの空白」に焦点をあてているところ、技あり、だと思いました。結句の「サクラクレパス」も効果をあげています。現代的で、しかも微かな毒を感じさせてくれる歌です。(春畑茜)

「空白」だから絵の中の満開の花なのだろう。空白の白に対して黒は対照がきつすぎてどうかとは思うが、ストーンズの「黒く塗れ」への作者の意識はあるような気がする。でもあの曲の歌詞で言うなら桜そのものを黒く塗ってしまえというストレートな反逆心はこの歌にはなく、ちまちまと花の隙間を黒く塗るのはまた違った偏執感につながる。「サクラクレパス」は単に桜だから入れたという感は否めない。(大塚寅彦)

サクラクレパスを持ってきたところ、桜そのものではなく空白を詠ったところに惹かれました。作者は何か物足りない思いでいるのでしょうか。桜の題材でも、このように暗い感じに仕上げたところに巧さを感じました。(ロン)


前のページへ戻る
ページのトップへ戻る