2021年2月1日(川野睦弘)
本阿弥書店の短歌綜合誌「歌壇」1990年9月号は「ライトヴァースは終ったか」という特集が組まれている。まさしく歌壇のトレンドが、ライトヴァースからニューウェイヴへと移行しつつあったころのことである。目次では、馬場あき子と小池光そして阿木津英による鼎談、永田和宏の6ページにわたる評論、6人の歌人による作品15首と2ページのミニ歌論、という順序になっており、誌面では、なぜか逆順になっている。6人の歌人は、以下のとおりである。
大塚寅彦/加藤治郎/島田修三/白瀧まゆみ/仙波龍英/中山明(掲載順)
島田修三という歌人を知ったのは、まちがい無く、その「歌壇」をはじめて買ったときである。ミニ歌論は〈ぼくの女房(横浜育ち)も、《で、アタマに来たから、ぜんぜん口きいてやんないわけ》などと亭主のオウボウについて妹に長電話したりする〉1980年代の女性の口語でつづられた伊藤比呂美の詩「荒地野菊」を引用し〈一九七〇年代後半から現在に至る高度大衆化社会の圧倒的な津波が、理念としての《公》と《私》に象徴される対立や境界のボーダーを呑み消してしまった〉〈《公》の輪郭が喪われた状況の中で《私》の言葉を発しようとすれば、極私的な感覚の中に言葉を潜り込ませる、という方法が選び取られるのは一つの必然ではないだろうか〉〈もとより相対化の波に洗われながら生きつづける話体を援用する、というのも一つの戦略ということになるかと思う〉と述べている。
睾丸ハ左方ニ容ルルヲ可トスとぞ繊細なるかなや帝国軍法
たましひは粛然として示現(じげ)すなり死の三日(みか)前の秋聲の風貌(かほ)
〈道〉を逸れ〈義〉に悖りたる富貴にてあはれ大和はさ蠅なすクソ
脱糞に意識のこごるたまゆらを〈義〉に即くべしと断然喩(さと)る
美をめぐり罵り合ひたるヘンクツとまた隣り合ひ尿(いばり)をはなつ
作品15首は、印象的に言えばコワモテである。文体は古典的な文語にもとづき、作者の知識の該博は紛れも無いながら、睾丸やクソ、尿(いばり)も堂々と登場する。「九膓悲歌集」と題する聯作には、九膓寸断を笑いのめすふてぶてしさが感ぜられ、初読の印象は、わすれがたいものとなった。
長崎で掘り起こされて鳴りし鐘音が響ける朝のひととき
中野實恵子「短歌」2021年1月号詠草から。
明治の御一新ののち、長崎は浦上の地で基督の教えを信ずるひとたちは、教会をたてようと決意した。起工から30年の歳月を経て、1914(大正3)年に、浦上天主堂は竣工した。1925(大正14)年には、高さ26メートルの双塔部が完成し、フランスから贈られた大小ふたつの鐘が鳴りひびいた。アンジェラスの鐘と称ばれる彼らもまた、1945(昭和20)年8月9日、長崎に投下せられた原子爆弾の被爆者である。ちいさな鐘は壊れ、もうひとつの大きな鐘は、ほぼ無傷のまま、瓦礫のなかから掘りだされたという。
2020年のNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『エール』は、作曲家古関裕而の生涯をモチーフとする。第19週(10月19日?10月23日)において、歌謡曲「長崎の鐘」がうまれるまでのいきさつがえがかれ、『長崎の鐘』の著者永井隆(ドラマでは永田武)の病床におもむいた古関裕而(おなじく古山裕一)が、被爆体験を聞くと共に、きびしい言葉を投げかけられ、作曲の啓示をうける、というストーリーになっている(じっさいには、ふたりとも邂逅の機会が無かった由である)。このときに、瓦礫から救いだされたアンジェラスの鐘が、終戦の年のクリスマスに鳴らされる、というシーンもあり、多くの視聴者と共に〈私〉と夫も、それを観たのであろうか。
鐘の音を如何に聴かんか広島の瓦礫のなかを彷徨いし夫
彷徨えるあの時のこと長き年共に暮らせどいまだ聞けずに
作者は「短歌」2020年8月号詠草で〈いつの間に八十五歳半ば過ぎ納得出来る年とはなれり〉と歌う。夫は〈私〉と同い年、あるいは、いくばくか年上であろうか。
大家さん秋明菊を持ちくれて腕の具合をさりげなく問う
竜嶽洋子「短歌」2021年1月号詠草から。〈大家さん〉とは〈私〉のはたらく事務所が入居するビルのオーナーであろうか。〈大家さん〉のさり気無いやさしさが、さらりとえがかれて好感を持てる1首である。
昨秋〈私〉は事故にあった。その経緯は2020年11月号詠草にくわしい。
雨の中自転車に乗り不覚にもブロック塀に衝突したり
立ち上がり指は動けどどうしても右手上がらず激痛走る
休日の診察病院捜す間に頼みの綱の夫帰宅せり
右の手の上腕骨の骨折と告げられぐるり固定されたり
ひと月は家事はほどほどなせば良し医師の言葉に夫頷きぬ
きき腕を固定されたる不便さに苛苛(いらいら)募るなんとかせねば
ブラウスの前から手首差し出してしかと握らん包丁の柄(つか)
あせらずにゆっくりすれば大抵は普通にできると安心したり
同年翌月の詠草では、おもむろに治癒する〈私〉の身辺がえがかれる。
電動の招き猫あり終日を手を振りわれを励ましくれぬ
右腕の骨折あとのリハビリにじっと静かに電気をあてぬ
かたまりし筋肉使うこれのみと痛みこらえて腕を上げたり
久しぶりに落語聞かんと栄に出向く桂米團治独演会なり
独演会は「淀の鯉」「一文笛」「地獄八景(ばっけい)」と、いずれも故米朝師ゆかりの演題であったらしい。聞きたかったなあ…
作者は2020年9月号詠草で〈三階の事務所階段上がれぬと思いたる時仕事をやめん〉と歌うひとである。事故にあい、懸命のリハビリの甲斐あって、職場復帰の叶ったことが2021年1月号詠草からうかがわれる。
ひと月を固定されたる右腕は上げようとして肩にて止まる
事務所にてFAX取りに行く間すら右腕動かすリハビリのため
事務員が心配せるを横に見て今日も励みぬラジオ体操
「歌壇」誌上でのfirst contactがあり、翌1991年に上梓せられた島田修三氏の第1歌集『晴朗悲歌集』を通読したぼくは、抜群のおもしろさに感動した。いや、当時21歳のぼくには、おもしろさの奥にある哀感を、どれほど受けとめられたか、こころもと無い。2年おきに刊行せられた第2、第3歌集は勿論、第4以降も、かわらず愛読した。
昨2020年晩秋、島田氏の最新歌集に二度まみえた。第8歌集『露台亭夜曲』と、第9歌集『秋隣小曲集』がそれである。島田氏の作品は、第1歌集から中軸にブレを生じない。〈私〉をめぐる家庭、居住地そして職場は、最新歌集にいたるまで大方かわらない。文体もまた然り。岡井隆の諸作と対蹠をなすところである。
知りあひてたちまち媾合(エッチ)におよぶ是非めぐり爪塗る妻(さい)と論議す
赤飯が恋しくなりて赤飯と独りつぶやきウェルテルのごとし
好きな食べ物はと訊かれハナクソと答へし小僧もパティシエと成りぬ(以上『露台亭』より)
たれ流しの温泉に来よいたづく身養へと優し 嗚呼たれ流し
嗚呼「熊手」この名を思ひ出だすまで途方に暮れて哀しも俺は
拳闘はガッツ石松の人生を三百八十度変へたりしとぞ(以上『秋隣』より)
島田氏の歌集をひらけば、どこかでかならず笑ってしまう。第1歌集から変らない大きな特徴のひとつである。
つかのまの嫩ききらめきここになく柿の葉むらを春過ぎにけり
舗道(みち)をたたく滝となりたる夕立の過ぎてしばらく街しづかなり
芯むごく朽ちたる桜樹(あうじゆ)にたわわなる新緑萌えて夏ならむとす(『露台亭』より)
午後の陽に暖められて風景は輪郭をほどく御岳のあたり
汚れたる白き小花をなほ保ち咲くさるすべりなんとなくゆかし
あしたより降りみ降らずみ寒時雨ゆふさりくれば西空(にし)の明るさ(『秋隣』より)
作者は、風景や動植物の描写にも秀でている。なまぐさい人事詠の合間に、清涼の気をただよわせる歌があるのは嬉しい。ぼくは、柿若葉の一首に、もっとも感銘をうけた。
『秋隣小曲集』では、作者の妻の死から三回忌までの日々がえがかれる。「富岡海岸」と題する長歌ならびに反歌二首は、ふたりがはじめて横浜近郊の浜辺で出会ったころを追憶する作品であり、いたく切ないながら〈賢からぬシェパードを率て〉のくだりに、島田氏らしさを感ずる。
夢でもし逢へたら俺は哭くだらう哭きとほしてぞ此の夜越えたき
上句は、大瀧詠一の「夢で逢えたら」をふまえている。〈あなたに逢えるまで 眠り続けたい〉と、吉田美奈子をはじめ、多くの歌い手によって歌いつがれた(大滝詠一も歌った)一曲である。