2015年3月15日(大沢優子)
光が春を告げるようになり、『青葦』の一首がふと思い起こされる。
伸びきたる日筋の書架に及ぶとき虚空放浪の時たちかへる 春日井建
結社誌3月号は、締め切り日の関係か、新年の歌が多く掲載されていたが、一時代前とは様変わりした新春詠が面白い。
桔梗のはなひらく欠礼葉書にてことしはむらさき薫る花年 古谷智子
干支のデザインの賀状がやりとりされる中、喪中の作者は欠礼葉書に桔梗の花柄を選ぶ。亡き人へ花を手向けるように「むらさき薫る花年」と、言葉を捧げる。喪中ゆえに正月に浮かれる世間とは距離をおいた清浄感がある。
元旦もやすまぬ職場はたらけば年のはじめの範例(ためし)に遠し 川野睦弘
元旦もやすまぬ店があるゆゑの買物がへりこそたのしけれ 同
元旦も休まぬ店で作者自身が働いているのだろうか?そして仕事帰りに、元日営業の店に寄り、正月のちょっとした買物をして帰る。その気分はうら淋しいような楽しさ。「祝う今日こそ」とかつて歌った特別な祝祭感にはほど遠い。元日の職場は、家族をもたない若者が当たる事が多いと聞く。やるせなさが正月風景によって際立つ。
年明けの直前送信ボタン押す着信日付は年跨ぐはず 日比野和美
賀状の代わりに、メールで新年の挨拶をする人もずいぶん増えた。今は流行も退潮の感があるが「あけおめ、ことよろ」などの略語も一時は多用された。晴れがましい言葉をどこか気恥ずかしく思う心情はわかる。年が明けた瞬間に挨拶を届けたいという気持ちと、送信ボタンを押すタイミングを計るゲーム感覚が混在しているのが、現代の流儀なのだろう。
デパートに購ひて来し節料理これより三日食ひつなぐため 池田あつ子
おせち料理もデパートで買う人は、今では珍しくない、というか全て手作りする人の方が少数派となった。家族が減り、手作りしても食べきれない。また、特別なごちそうという意識も薄れた。生鮮食品の乏しい三が日の食卓にのせるのが、このデパートの味か、と作者はいくぶんの自嘲の思いをもって見栄えの良い料理をながめているようだ。
永住を決めしと書きくる年の瀬に祝い箸・餅せめて送らむ 松井きみ子
作者には、南国に永住を決めた家族がいるらしい。祝い箸に、遠く暮らす家族の名前を記して送るのだろうか?淋しさを伴いながら、作者のゆかしさが伝わる。
最大の国民的行事である正月を指標にすると、現代の人々の一様ではない暮らしや意識がみえて興味深かった。
総合誌「短歌往来」3月号、中川佐和子「龍神伝説」33首が印象に残った
迷うとき思わず足が向く冬のみなとみらいの船を眺めつ
そういえば愉しいときは在ることに気付かなかったメリーゴーランド
気を張りて待合室に座す母よ虹のごとくに生きよと思(も)うに
フェニックスぱさっぱさっと葉を鳴らし地上のわれを留めんとする
人は何か縋って生きる 海の方(かた)向けば龍神伝説の岩
冬の晴れへえらりへらり海の上(え)を鳶がまわれり昼のぬくさに
鬱屈をかかえて訪れる「みなとみらい」は、作者にとって馴染の場所だがメリーゴーランドが在ることに改めて気づく。愉しいときは在ることに気付かなかった、という逆説的な表現が、生きている。
病気の母上に付き添い、がんセンターに行き、また気持ちを立て直し、仕事にも出る。そういう日常の気分、すべてを払拭したくて、南の海を見にと青島まで出かけ、龍神伝説の岩をながめる。荒々しい風景が、かえって人の心を救抜する、ということに説得力がある。その時々の心の起伏が、硬軟、強弱バランスよく配されて、一連に読みごたえがあった。