2013年1月15日(中畑智江)

明けましておめでとうございます。2013年は、どんな素敵な歌に出会えるのでしょうか。今年もどうぞよろしくお願いします。

結社誌『短歌』1月号は、中部短歌会においての様々な賞の受賞者が発表されている。
まず創立90周年記念<功労賞>は、斎藤すみ子氏と杉本容子氏の2名。両氏は90周年目の全国大会の歌会でも高得点を獲得しているので、ここにご紹介する。

腕を組む咳払いする足を組む男の留守の椅子を楽しむ/杉本容子(1位)

この「男」は良い椅子に座る身分なのだろう。「男」の居ぬ間にそこに座って、「男」の仕草をするお茶目な作者。サイレント時代の良質なコメディを観ているようだ。

この会は永遠にある『未青年』の清き精神をわがものとして/斎藤すみ子(3位)(精神=エスプリ)

『未青年』の「清き精神」はどういったものを指すのだろう。春日井建の『未青年』は背徳や美しい暴力性など、その内容の斬新さに目が行きがちであるが、歌としては韻律の整った伝統で端正な姿をしている。清き精神とは、伝統に新しい風を吹き込むことを指している、と筆者は読んだ。

「(中部)短歌」は創刊当初から、いかなる流派にも属さず、師風伝承をせず、建先生ご自身もこの会の性格を継承された。しかし90年の長い歴史の中、建先生の遺していかれたものが、今もこの会を支えているのは間違いない。亡くなって8年だが、建先生を慕う声は絶えることが無い。『未青年』は伝説的歌集である。しかし、ここまで慕われる建先生の生前のお人柄というのが、筆者にとっては『未青年』以上の伝説である。

続いて、今年度の「短歌賞」について。受賞者は吉田光子氏。作品「花冠」30首は、ありふれた日常に詩情が織り込まれ、透明感がある。一首引く。

眠りから覚め切らぬ街にさびしさのグラフのやうなビルのあふとつ/吉田光子

都市のビル群を棒グラフに見立てている。ぼんやりとした(ぼんやりとしていたい?)中で、「さびしさ」までが数値化されうる現実社会を浮き出させているようだ。

「新人賞」は日比野和美氏。作品「駅」は佳作ぞろいで15首全部紹介したいが、一首引く。

黄昏れて駅のベンチに鎮座せる空き缶一つ動かし難し/日比野和美

ベンチの空き缶に圧倒的な存在感を与えている。と同時に、空き缶が一人のビジネスマンの姿のようで哀愁もある。

そして「奨励賞」は宮沢実氏。継続は力なりという言葉がこの作者には相応しいと感じた。作品「古里」15首より。

真っ青な空に応援されながら七十七才坂登りゆく/宮沢実

青空を感じながら坂を登る作者の、実直で純朴な一面が感じられ好感を持った。七十七才とあるが、感性は少年のよう。

同じく結社誌「短歌」1月号の詠草から印象に残った歌を紹介する。

誕生日の祝いにくれし栞にはルピナスの種 五つの未来/三枝貞代

栞に本物の種が付いているのだろうか。栞として大丈夫なのか?と思いつつ、その種を「五つの未来」と表現した点に惹かれた。確かに種は未来を内包しており、種の数だけ未来がある。

青色の絵の具を椅子にわざとつけ男の子は都会へ行きてしまえり/谷口誉子

「わざと」が男の子らしい。また「青色」が若さ象徴している。下句は「おのこはまちへ」と読むのだろう。「行ってしまえり」でいいのではないかと思う。

足りないとせがまれすぐに渡すのは君の母ではないと知りおけ/同

母の愛情は、どこまでも深い。この一連に「男の子の育て方」を見た気がした。

第13回現代短歌新人賞に、高木佳子(福島県在住)の第二歌集『青雨記』(いりの舎刊)が選ばれた。高木は『壜』という季刊個人誌(現在#05が最新)を発行している。震災直後の4月に、復旧のままならぬ中で発行した#02は話題になった。

今回は『壜』#04(2012・4)から歌を引く。

羊皮紙の謎の解かるる一瞬と思へばさみしゑ街は消えにき/高木佳子「このままでいい」

全体的に、放射能をからめた日常詠が多いのだが、放射能を気にしつつも、冷静に淡々と詠まれているのが印象的だった。上記の歌を引いた作品は、子供の線量を計るところから始まる一連である。「羊皮紙の謎」とは終末預言の書のようなものだろうか。「消える」と予言されていたのは、わが故郷だったのかと思うことの、なんと悲しいことか。

続いて、「現代短歌新聞」12月号の高木佳子のエッセイ「被災地から9」より。

あますなくベクレてをりぬ見上げたるこの空も地もわれも息子も/高木佳子「現代短歌新聞」12月号より

線量の単位「ベクレル」が「ベクレる」という動詞となって、実際に使われているらしい。大切な自然と子孫が無情にも「ベクレて」いく日常。なす術なく立つ「われ」が見えるようだ。

「現代短歌新聞」12月号より。

うす白き嘘のようですティッシュ、ティッシュ、二枚かさねの音摘まみつつ/松平盟子「二枚かさねの」

嘘のようで、音のようなティッシュは、二枚重ねても儚さが重なるだけだ。ティッシュの特徴が一首に集約されている。

歌評(月2回更新)

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