2013年11月1日(大沢優子)
先日、現代歌人協会主催の第六回公開講座「生活を歌う」を聴講した。パネリストは高野公彦、米川千嘉子、吉川宏志の三氏、司会は佐伯裕子氏。三氏が自選の1首、話者それぞれの歌1首ずつ、そのほかの歌人の歌3首を挙げた資料をもとに、話が進められた。
吉川さんの「この家のなかにも小さき十字路のありて娘とすれちがいたり」が話題に上り、日常を詠みながら、生活より数センチ浮かせた歌を目指す、という点にそれぞれの生活詠の一致するところがあったようだ。数センチの妙味。
結社誌10月号より
マンションの浮き巣に住みてものがなし一つのみなる灯を大きくす 斎藤すみ子
荒蕪地の草丈低く鬼やんま乾ける音を立てて交尾す 同
機能性に富んだマンション住まいは、それ故に地に足がつかない浮き巣のような、頼りない感情を生みやすい。人と住まいの関係は、大きな災害を経験した今だからこそ、鴨長明や芭蕉の無常感に通じるものがある。まして独り暮らしの人にとって、その思いは深い。「一つのみなる灯」に孤独感がにじむ。
2首目の歌も、荒蕪地という生硬な言葉が、一首に繰り返されるk音のひびきと相俟って、荒漠とした心象をひろげる。「乾ける音を立てて交尾す」が印象的である。
昔いた街に似ている風景を歩けば部屋の匂いを感じる 大澤澄子
アパートの住人は顔を合わさない隣は昼間寝ている気配 同
口語の歌は現在感覚を強く漂わせる。作者を過去へと一気に連れ戻した、あの部屋の匂いは、甘美な追想に傾かないことにより、生活感をもってよみがえる。既視感が過去への扉をひらくことを、うまく捉えている。人の気配を感じながら、直接触れ合うことをしない暮らしは、現代の都市生活者に共通するものとして、共感できる。
自決用手榴弾をば「大切」とわが持ちいしは何であったか 中濱郁雄
来客に「見せてください」と言わるるを「いらっしゃいませ」と笑顔に答う 同
八月が歌の提出月であったためか、歌誌全体に戦争詠が多くみられる今月号であるが、直接体験を詠んだ作品はそれほど多くはない。戦争を実体験として詠う作品を読む機会はますます少なくなると思われ、貴重であろう。作者は今、来店した客に笑顔で接しながら、若い日に抱えていた別の「大切」に思いをいたし、自分の中にある不連続な時間を「何だったのか?」と自問する。誰も答えられないだろう。
津波から浸水防ぐ防波壁の下に立ちつつ高さに驚く 前村治美
原発の再稼働強く待ち望む発電コスト何より安し 同
浜岡原発を見学した作者の感想からなる一連。担当者の説明を聞き、実際にその目で見、
浜岡原発の、事故への備えは万全のものとの認識に達したようだ。驚くほど高く築かれた防波壁は、本当に「末の松山」になるのだろうか?地震、津波への備えばかりでなく、原子力に頼ることの問題は、もっと多岐にわたると思うが、作者の信念はゆるがないのだろう。
会へば吾子の消息聞かるる切なさにいつしか疎遠となりし歳月 井澤洋子
噛み合はぬ友のことばに気附くときぽつりと言へり「おもひだせない」 同
友達づきあいにもさまざまな結び瘤が生まれるものだ。友人の子息が自死され、今までのように会うことにためらいが生まれる心情は、とてもよくわかる。疎遠になりながらも、作者の胸に友情は生きていたことであろう。歳月を隔て、ようやく再会した友人は、しかし軽い認知症を来し、過去の友情の実りを思い出せない。愕然としながら、もう一度友人を失ったような作者の嘆きが伝わる。
「短歌研究」11月号より
理想に向け整へぬ者を蔑みて吾は生ききぬ遠蝉の声 矢部雅之
蔑みの刃は己にいづれ向く蝉の薄羽の堅き輝き 同
生き当たりばつたりこそが貴けれ放恣に蝉の羽動きそむ 同
最近の歌のなかで、思念から歌を組み立ててゆく方法は珍しい気がする。大上段に「理想」など掲げ、自己更新を図る作者の姿勢は、今かえって新鮮だ。「行き当たり」ではなく「生き当たり」の表記に、ちょっと肩肘を張った作者像が見える。