2018年6月15日(雲嶋 聆)
去る6/2(土)、名古屋にて「ニューウェーブ30年」と題してシンポジウムが開催された。登壇者は加藤治郎、穂村弘、西田政史、萩原裕幸の四名。会は二部構成で、前半は当事者四名によって当時の時代状況や、ニューウェーブとは何だったのか、活動の経緯、等といった事が語られ、後半は事前に参加者から募集した質問に四名が答えるという形で進められた。
まず、前半、当時の時代状況について、全共闘世代、つまり熱い青春を送った世代の後の喪失感みたいなものが時代の気分としてあったということが西田政史によって語られた。そういえば、彼らが学生時代を送ったのは、ちょうど浅田彰や中沢新一らが一世を風靡した時期と重なっている。そんな中、短歌で面白いことができないか、といったことが模索され、その結果、ニューウェーブ的な表現にたどり着いたのだという。
では、ニューウェーブとは何か。発端は1991年7月23日朝日新聞夕刊に掲載された荻原裕幸の文章「現代短歌のニューウェーブ」という文章だったという。荻原は、現代短歌の新しい波という意味のあくまで一般名詞としてニューウェーブという語を用いたと当時を振り返った。当時は短歌の世界ではライトヴァースという語が主流であり、ニューウェーブの四人も歌壇的にはそこに分類されていたという。
ニューウェーブの表現の特色として事前にweb上で配布された資料によれば、以下の三点が挙げられるという。すなわち、①作中における「私」の不在、②解釈や音読が不能な記号表現の使用、③会話表現による口語の三点である。
加藤治郎は②の記号表現について、自身の「1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0」(『マイ・ロマンサー』)という歌を作った当時を振り返りながらワープロの普及によって文字を自由に切り貼りできるようになったことが大きいと分析した。
後半は参加者からの質問に答えるというものだったが、ニューウェーブには登壇した四名の他に誰が入るのか、女性歌人は誰が入るのか、という質問に対して、どこまでを含めるかは難しいがニューウェーブは飽くまで四名のみを指し、その他の似た作風の歌人は男女問わずライトヴァースに含められるという回答があった。また、やり残したことは何かという質問に対して、穂村弘は、歌壇外への歌人の認知度が低いからそれが悔しいということを語った。
前衛短歌に接続するものとしてのニューウェーブ、岡井隆や塚本邦雄といった前衛歌人たちの影響から出発した彼らの念頭には、活動の中でそこに接続しようという意識が常に働いていたのだという。
さて、結社誌は6月号から。
草木の芽生ひ立つ真夜を秒針は時間(とき)刻みをりたいせつにたいせつに
蟹江香代
真っ暗な中で草木が芽吹くというイメージからは強い生命力が感じられるが、といって、それは奔出するようなエネルギッシュなものではなく、むしろ内に秘めた力強さといおうか、少しずつ少しずつ、しかし着実に生長するしなやかな強さである。作者の鋭い耳は、それを秒針のたゆまぬ響きの裏側に捉えた。結句の「たいせつにたいせつに」が語そのままの意味であると同時に、秒針の音を表すオノマトペの役割をも果たしているように思われる。
雲一つなき四万十の大河原雲雀の声の天に溶けゆく 左山遼
歌そのものの調子も、そこに詠まれている景も雄大で、普通に生活していると周りの人の言動につい一喜一憂してしまいがちだが、そういったことすべてがとても些細なものに思われてくる、ありきたりな感想だけれども読むとそのような感覚になる。おそらく「雲」や「雲雀」、「天」といった文字から来る空のイメージが一首に広がりをもたらし、三句目の「大河原」という言葉が「方丈記」以来の川にまつわるイメージと結びついているからなのだろう。