2014年4月1日(神谷由希)

忘れようにも忘れられない東日本大震災記念日と共に、卒業、入学、就職と例年のごとく行事の多い春ではあるが、今年に入って余りにも奇怪な出来事が多すぎた。偽ベートーベンの暴露に始まって、リケジョに随喜の涙を流させたSTAP細胞、航空機の消失(この稿がアップされている頃、発見されているといいけれど)、ベビーシッター問題など、枚挙に暇がない。その上、重責ある人々の失言(否妄言と言うべきか)も数多くあって、誰が何を謝罪しているのか、時に混乱して分からなくなる。何故か得意顔に見える通り魔も出現して、穏やかに桜を待つ心境になれない。登場人物の幼児性もさることながら、ジャーナリズムの狂騒も空恐ろしいことではある。今回、結社誌の中から、少々奇妙な味を感じられる作品を選んでみた。

水中の浮遊を噺され「あつちでは怖がられてた」と鼻鳴らすカバ  大沢 優子

状況としては愉快かも知れない。但し、河馬は本来獰猛で、三十センチもある歯で相手を噛み殺す事もあると言う。ぷかりと浮いている様子は平和に見えるけれど。「空飛ぶカバ」と称して、河馬のお腹を見上げようという人間の魂胆は、口を開けて仰ぎ見る無邪気さよりも、商売気を感じてしまって、河馬に気の毒のような気がする。

足音に移植されたる手の画像おいでおいでと夢にひらひら     中村 孝子

事故で切断さえた手首を、とりあえず足首に移植して、血管や組織がある程度再生された後、元の位置に戻す手術が中国で成功したと言う。<白髪三千丈>の類の誇大報道ではないかと思ったが、れっきとした画像もあり、職人芸とも言える医療技術の成果であろう。然し画像を見た人が、一種の違和感を覚え、悪夢に悩まされたとしても頷ける。事情が分かって読んで見ると、なかなか説得力があり、又、ブニュエルの作品の一場面のように、シュールに読める作品である。

変だよと家族が気付く近ごろの隣の門は閉ざされてをり     磯村 政乃

「変だよ」と単純な疑問から始まる。隣り合っていても、親密と迄はいかない家同士、門が閉ざされた家の中では、どんな異変があったのか。日常の中で見過ごされて来た些細な事は、外界へ開く筈の門が閉ざされて初めて認識されるのかも知れない。淡々とした語調の背後に、家人の戸惑い、憶測のようなものが見えて、読者にもミステリアスな後味を残す作品。

「日本はスヌーピー島を手に入れた」古事記の神々メール発信  小川加代子

二〇一三年、小笠原諸島南に海底火山の噴火によって生じた新島を、ネット上でそう呼ぶと聞いた。形状が似て、首輪まで認識できるのだと。位置はまさしく東京都で、領海上からすれば<手に入れた>ことになる。力まかせの国引きをせずとも楽勝で、神々は大喜びだったかも知れない。

総合誌「歌壇」三月号(テーマ別アンソロジー)より。

社会・時事
妖怪の世に生れたるゆるきやらは地位低き妖怪の踊りするなり   馬場あき子

世を挙げて<ゆるきやら>流行りである。鍋、釜、杓子等日常の汁器が、古色と共に妖怪に変じて、踊りながら夜行するのを<百鬼夜行>と称するが、<ゆるきやら>族は、人間の都合で次々と世に生み出される。先鞭をつけたのが<くまモン>の大成功で、あやかれとばかり、遂にサミットを開催する迄に至った。伝統的な妖怪達は眉を顰めているかも知れないが、人間の貌をした現代の妖怪が横行する中では、可愛げがあるだけでましではないか。

時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色     松村由利子

<沖縄>は、どのように語っても語り尽くせぬ問題である。西欧文化の象徴であるパン、そしてその耳、サンドイッチを作る時などあっさり断ち落とされる耳は、パンを美味しく焼き上げる為になくてはならない部位である。(本体より耳が好きな人もいる。)焦げ色という表現によって、作者が語りたかったもの、読者はそれをしっかりと受けとめ、理解しなければならないと思う。

歌評(月2回更新)

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