2020年2月1日(川野睦弘)

中部短歌2020年1月号から…
松岡孝子「夫癒えて」8首

夫癒えて子らに祝われふみづきの熱海の瀟洒な星降る宿に
授業終え山のホテルへ駆けつけし孫の横顔生き生きしおり
娘の選び呉れたる魚介に白ワイン揃う家族に満たさるる夫
展望のお湯に浸りて見おろせる夜の静寂のその街あかり
朝の海あお一色を見ておればあちらこちらに春鳥の声
デザインは花火仕様のクライミング孫はふた親のレクチャー受けて
ファミリーの旅ににぎわう熱海いま「紅葉の明治」はるけくなりぬ
ほのぬくく湯気にけぶれる坂のまち熱海歩けば香るはつなつ

2019年10月号詠草に〈ピノキオの人形さながらカクカクと癒えしも強張る夫の左肩〉〈座るとき姿勢の良くなる椅子が来る 弥生のあした夫の声する〉という歌がある。ここに取りあげる1月号詠草は〈ふみづき〉すなわち前年7月の出来事をモチーフとする。〈夫〉の快気祝いがてら、家族が熱海の宿に泊ったのである。それならば、5首目の結句は見なおす必要がある。〈春鳥〉とは鶯のこととおもわれるが、春のあいだに生殖がかなわぬ場合、夏をむかえてもなお、嬬をもとめる雄のさえずりが聞かれる。それを詠みこむ際に〈春鳥〉と言ってしまっては、歌の時制がわかりづらくなる。〈夏うぐひす〉という季語を借りてきてはどうだろうか。

竜嶽洋子「友」8首

入院の友はベッドに横たわり言葉発せずただわれ見つむ
わかるかと問いたるわれにその息子わかっていると強く答えぬ
手を取れば骨と皮のみ点滴で存えている友のがんばり
ゆっくりと話してくれとその息子病室出でて階下に降りぬ
五十年いろいろありしと思えども言葉にならずただ手を摩る
言葉などいらない二人は手を摩ることのみにて思い伝えん
この逢瀬最後となると思いつつ七十四歳ちょっと早すぎ
一週間後身罷りしと知らせあり出向き良かったふる里千葉へ

同性の友人を病床に見舞った折の〈友〉と〈われ〉のすがたがありありと立ちあらわれるような一連である。そのうえで気になったところを申せば、2首目と4首目の〈息子〉の描写について、このままだと〈われ〉に冷たい態度をとる男性にみえてしまう。なお、7首目の〈逢瀬〉と8首目〈出向き〉について言えば、言葉がそれぞれの歌の空気から浮きあがってみえる。たしかに〈逢瀬〉には「ふたりが会う折。面会の時」という意味があり、自分のほうから出かけていったので〈出向き〉と言うのであろう。

石倉香子「秋彼岸」7首

「香子(よしこ)」とは誰も読んではくれません父憧れし女性の名とぞ
女子(おなご)なら「香子」とつけよと戦場へ父に会いしは六歳の夏
思い込め香子と名付けし子供われどう写りしか父の眼に
六歳までいなくて普通の父なれば雰囲気こわすただの異分子
あの人は何時帰るのと母に問う その時の母思い出せざり
一枚の写真が重くて顔のみをちぎり持ちしと ビルマ戦線
あんな事こんな事など思いつつ秋彼岸の墓所曼珠沙華さく

どの結社誌もそうにはちがい無いが、中部「短歌」の誌面は出詠者の氏名にいちいちルビをふらない。読者は石倉さんの名前のただしい読みかたを1月号詠草に教えられる。戦地からの生還はよろこばしいはずであっても、ながく不在であった〈父〉という者に戸惑いや疎ましさをおぼえてしまう心理の機微を、4首目の歌が端的にあらわしている。6首にわたる追憶が、現在の秋彼岸の墓参によるものとわかる一連の構成が巧みである。

林千尋作品7首

かたばみの葉で擦り磨く十円玉みるみる輝く鳳凰堂は
草踏むに飛び出すバッタ枯色の虫に気付かぬ老犬の一歩
「いらん」とう子のパーカーはアディダスで色なじみ良し吾の着回し
五歳児は缶ぽっくりを操りてかっぽかっぽと運動会へ
伸し餅はオーブンの熱にむくむくと球膨らみ中身空っぽ
十六歳の老犬もたれて顔を出し「家政婦は見た」ようなまなこす
黒雲を抜け低空の五機は順に警報を出す頭上にぎわし

この作者の歌はおもしろい。昨年9月号から12月号まで1首ずつ見てゆくと次のとおりである。

背を丸め白詰草にしゃがみこむ男ひとりに声掛けがたし
菊花火の炎(ほむら)が粒となりゆきて仰ぎ見る人の溜息と消ゆ
バイキングのソフトクリームもこもこと積み上げ巻けば止まずあふれる
妙法寺のjazzコンサートお経入りの和洋コラボのサプライズ添え

辛辣になりすぎない観察力が作者の身上であろうか。7首目は自衛隊機の飛行演習とおもわれる。それさえも、ユーモラスな生きものの行動にみえてしまう。

本田章子作品7首

赤信号なれども舞ひゆく紋白蝶 渡り切るまで目に追ひにけり
星々を結びてふさはし星座の名 名付けし人を恋ふる秋の夜
一杯の目覚めのコーヒー飲みながら脳(なづき)にうかぶ今日の段取り
月桂樹支へとなして秋空を掴む勢ひの西洋朝顔

落とし穴はかりて友がかかりしを夫楽しげに孫に語れり
スクランブル交差点に散る人の群 ビルの窓から音符とぞ見る
男(を)の学生 女子高生のコーラスに独りまじりて高らかに歌ふ

この作者は一字あけを得意とするらしい。ここで筆者なりに一字あけについて考えてみたい。一字あけにはふたつの目的があるとおもう。ひとつは読者の読解を容易にするためであり、もうひとつは詩的効果のためである。ひとつ目の例を1月号にさがせば、和田悦子さんの〈すすき穂の白のやすらふ鄙の郷 歴史称へて資料館建つ〉という歌が目にとまる。上句と下句のあいだに一字あけが無ければ〈郷歴史称〉と漢字がつづき、読みにくい字面となってしまう。それはそれとして納得できるものの、一連のほかの歌からモチーフは揖斐川町のことと知れるので、3句目を〈揖斐川の〉とあらためることにより、如上の問題は解決する。もうひとつの目的については、中村孝子さんの1月号詠草〈平成と令和のはざまに咲いていた猩猩袴 戦のあるな〉をまず挙げたい。もし一字あけが無かったら、結句は直上の猩猩袴にかかってしまう。結句は世情への切なる訴えである。あえて4句目と結句のあいだに断絶をもうけることで、訴えの切実さをきわめるねらいが作者にあったものとおもわれる。もうひとつの好例は長谷川と茂古さんの昨年9月号詠草〈うつすらと白き父の目 骨ばつた体躯抱き寄す やはらかく抱く〉である。年老いた父の介護をモチーフとしながら、カット割りのこまかい映像作品をみるような即物的な印象を読者にあたえる。

大塚寅彦「地名の歌」8首

戦前に霊柩電車停まりしとふ八事(やごと)霊園ひろきをまよふ
おもたげな宮型霊柩車を見ざり黄金(わうごん)に消ゆる霙もありし
主税町(ちからまち)信号待ちに大石の長子(をさこ)の辞世おもふ木枯らし
尼が坂坊が坂ありその近く首塚坂は日暮れ暗しも
四月九日(しく)の日に池みづ赤くなりしとふ血の池公園いまは水なし
長久手のながき眠りの樹木葬骨(こつ)ともしろく招霊(をがたま)咲かむ
熱田なる稲のみのりと頭垂れわれら立ちたり献詠祭に
猫が洞(ねこがほら)フレンチの〈猫〉もしこれが(犬〉なら如何と師は笑みましき

「歌壇」1月号の新春企画〈継続と挑戦〉に載った作品と短文がつよく筆者の印象にのこったので、末尾ながら紹介したい。ここにあげる8首はすべて名古屋にちなむ歌である。地名がいくつ織りこまれてあるか、あえて筆者はここであかさない。これを読んでくださる方がたのおたのしみとしておきたい。ただひとつ言いたいのは2首目についてである。下句の〈黄金〉は単なるgoldでは無い。これも名古屋に実在する地名である。〈こがね〉とルビをふってもよかったのではと筆者はおもったりする。

〈「継続」自体に強固な意志と根気が求められる。けっして惰性だけでは雑誌というのは続かないものだという感想がある。むしろ下手な「突出」を目論むと続くものも続かなくなる、そんな風にさえ思っている。〉

〈「短歌」という誌名にも感じられるように原点に戻って堅実にやろうという先人たちの意識がいつしか雑誌の「魂魄」となり、あと丸二年ほどで創刊百周年を迎えるまでに継続することが出来た。新しい試みもそれなりに取り入れつつ「原点」を大事にしてゆきたいと考えている。〉

歌評(月2回更新)

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