2013年11月15日(長谷川と茂古)
11月になったと思ったらあっという間に、もう半ばである。ついこの間ハロウィンだったような気がするのに。そんなわけで、結社誌11月号から。
おろし金東急ハンズで買う友と口上を聞く〈さくら〉のように 大澤澄子
作者はおろし金を買う友人の横で「ああ、わたしたちは決してさくらじゃないのよ」と心の中で言っているようにもとれる。「さくら」っぽいタイミング。それを歌にした。友人と購入した「おろし金」。モノにエピソードがついて、その人にとっては特別なモノとなる。
疎開して「あのね」 「あのね」と笑はれし日より消したり東京言葉 坪井圭子
雨の降る日の母なにか優しくて物縫ふ傍への時長かりき 同
連作「あのね」から二首を引いた。作者が、東京から岡山へ疎開してきた頃を描いている。「あのね」とマネをされて、周りに笑われた。おそらく、その中には「東京の言葉ってかっこいい」「可愛い」と思っている子だっていたと思うが、作者にとってはトラウマとなってしまった。二首目、母親は裁縫ができて当たり前という時代。簡単な服、綿入れ、布団や座布団のカバーなどは、着物などを再利用していたものである。雨の日、家で母親が裁縫をしている。その横で幼い作者が学校でのこと、友人の話をしているのかもしれない。母とのゆったりとした時間。年を経てもなお、記憶に残る。
セロファンにつつまれていし一房を水に浸せば一粒浮かぶ 岡田眞木子
「葡萄」より。この一首前に「マスカット包めるセロファン」とあるから、この葡萄はマスカットである。セロファンから取り出し、水に浸したら一粒浮かんできた。だたそれだけなのに、すっきりとした歌の姿と、マスカットの瑞々しい様子が一体となっている。一粒浮かんできたときの作者が「あ」と思った瞬間が読み手にも伝わってくるようだ。「一粒」は「ひと粒」の方がよいかもしれない。
青が行く緑も又行く赤、白も遁(のが)れ行くわれどっぷりと黒 清水美織
何かは分からないが、とにかく圧倒された。青や緑の色が何を表すのかこの一首だけでは理解できない。一首前に「昔日の庭に忘れし花あらば幽(かそ)けき風にも滂沱乱るる」とあるから、おそらく花や葉の色なのかもしれないが、結句の「どっぷりと黒」が強烈な印象を残す。「遁れ行く」のは「われ」なのか、青、緑、赤、白なのかもはっきりしない。それなのに、確信を圧してくる。その強さに脱帽。
総合誌は、「歌壇」11月号より。
「渋さ知らズ」と同じ舞台に立ちしわれ名前は「詠み人知らズ」でもいい 三原由起子
十二首からなる「詠み人知らず」より。「渋さ知らズ」、通称「渋さ」。音楽と舞踏のパフォーマンス集団である。ここ数年で活動も海外へと広げ、メジャーになった。「知らズ」の言葉遊びとして作られたのだが、「渋さ知らズ」と「詠み人知らズ」では、その立ち位置が全く異なるだろう。一首前には「自らのふるさとを詠めば名を売ると言われるならば詠み人知らず」という歌が配されている。ちょっと不貞腐れているような感じがあるが、何と言われようと浪江町を故郷とする歌人「三原由起子」は一人しかいない。