2016年2月15日(吉田 光子)

早春に地上に姿を見せ可憐な花を咲かせたのち、本格的な春が訪れるころには葉のみとなり、やがて枯れて地上には何も見当たらなくなる、そんな花をスプリング・エフェメラルという。「春の儚いもの」とか「春の妖精」などとも呼ばれるスプリング・エフェメラルは、芽吹く前の落葉樹下の明るさにうっとりと花開き命を輝かせる。そして、枯れるまでの短い期間に養分を蓄え、それ以降は地中の球根のみとなって、また訪れるであろう春を待つのである。カタクリ、セツブンソウ、フクジュソウ、アズマイチゲなどがよく知られていよう。今年もちゃんと芽を出してくれるだろうか、地下で駄目になってしまっているのではなかろうかなどと、この季節はドキドキする。そして、少しずつ明るさを増した早春の光の中に、その小さな姿を見つけたときは、とても幸せな気持になる。フクジュソウに続きカタクリの芽吹きが見られるのも、もうすぐだろうか。

では、結社誌「短歌」2月号から。

霜月の駅ロータリーに人も車も居らねば煮こごりのごとき街並     洲淵 智子
暗順応しゆく心を冬晴れの空に放てば解けゆく雲             同

愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館において、「画家の詩、詩人の絵」と題する企画展が開かれた。昨年の11月半ばから1ケ月ほどの期間であったと思う。〈絵は詩のごとく、詩は絵のごとく〉という副題がつけられたこの美術展を見ようと、初めて碧南駅に降り立った作者の眼に、晩秋の町は「煮こごり」のように映じた。すーっと駅頭へと読者を誘う表現である。かなり字あまりであるが、初句と結句が定型になっていることで、しっかりと持ちこたえているように思われる。また、字あまりの描写が煮凝りの沈んだぷるぷる感を醸しているようにも思う。2首目、作者は美術館内の窓から空を見つめているらしい。美術館の薄暗がりに順応してゆく目を心を、窓の空に転じたときの解放感が鮮やかに詠まれている。春日井建先生の絵と詩も展示されていたそうだが、作者はどれほど深い想いでそれを見つめたことだろう。

満月の隈のまだらは日本か仲麻呂的にふりさけみれば         川野 睦弘
あみだ籤(くじ)経由災難ゆきの道ぼくがわらつてさししめすのは         同

阿倍仲麻呂の「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」を踏まえて詠まれた1首目、伸びやかな景といえる。けれど、隈となって日本が示されていることが翳りを落とす。危ういこの国の現状を暗示しているのかも知れない。軽やかな2首目に、思わずヒョイとついてゆきそうになる。笑ってさし示されたら、その道に行ってみたいような、行ってみたくないような。災難ゆきか…危ない危ない。だが、人はそこかしこで気づかぬうちに人生を選択しているのだ。あみだ籤を引くように。待っているのが大きな災難であれ、小さな災いであれ、乗り越えてゆくしかないのだろう。

吹く風に誘われ仰ぐ青き空隼一羽浮遊する昼             木下 容子
一歩ずつ足裏の力確かむる知覚障害とぞ敷石は秋             同

意志強く病気と闘う作者である。昨年の中部短歌全国大会に、車椅子で参加された凛とした美しさを記憶されている方も多かろう。自由に大空を行きかう隼に憧れを込めた眼差しを投げかけ、足元に秋を見出す作者。怯むことなく病と向き合う姿が「一歩ずつ」という言葉から立ち上がってくる。病気を克服されることを心からお祈りする。

月の香を嗅ぐごとあふげばだんだんに透明となるわたしと解かる    早智まゆ季
烟りゐる記憶の中にいちにんを捜して今宵はざら紙のやう         同

月は不思議な力を持つ。しんしんと降り注ぐ光を浴びれば、誰しも浄化されていくような思いに捕らわれるのかもしれない。透明となった作者は、ひととき月の世界の住人となるのだろうか。幻想的な一首である。2首目も哀しみが滲んで読む者を魅了する。静かな波紋を描いて歌の世界が広がってゆくようだ。
次いで、角川の月刊「短歌」2月号から

こともなくテロ撲滅を言ふ男厭な男は厭なのである           岩田 正
取られたくない取りたいと引きよせる「をとめのすがたしばしとどめむ」   同

政治家の軽い物言いに、戦争を知る作者の不信感は募るばかりなのだ。〈九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか〉、〈フイルムを逆に回せばながくよき平和ののちに戦争がくる〉。作者が以前に詠んだこれらの歌につながって、平和への願いが怒りを込めて歌われている。そして、2首目は一転、ほのぼのと楽しい。デイケアセンターであろうか。百人一首に興じる様子がうかがえる。「をとめのすがたしばしとどめむ」は、やはり、いつだって人気札。私の友人は、「ほととぎす…」が好きだった。一字札なので「ほ」を聴くなり取れるよう身構えていたのを思い出す。

金魚池に霞網張られ城下町 冬水鳥の帰り来るころ            喜夛 隆子
あかねさす共同体(ゲマインシャフト)の残光の大き渋柿でこぼこの柚子    同

どちらの歌も、言葉の選び方に詩情があふれている。城下町というゲマインシャフトに日々を過ごす作者なのだろう。丁寧に掬い取る眼差しが静謐で優しい。

歌評(月2回更新)

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