2018年4月1・15日(長谷川と茂古)
少し長めのお休みをいただきました。HP歌評、再開です。今年の桜は早く、4月に入って既に葉桜となっています。今年の夏も暑くなるのでしょうか。あついといえば、今年の6月、名古屋が熱くなりそうです。「ニューウェーブは、何を企てたか」と題してシンポジウムが行われます。どんな話が飛び出すのか、今から楽しみです。また、5月23日~6月24日、名古屋の<文化のみち二葉館>において、稲葉京子展が開催されます。6月3日(日)には、古谷智子さん、黒瀬珂瀾さん、司会に大塚寅彦さんを交えて鼎談も行われます。お時間のある方は是非お越しください。
さて、歌評は結社誌3月号より。
若菜の名すずなすずしろ誦(ず)すうちに粥炊きあがることだまの香や 大塚寅彦
転生にエルヴィス挙げし三島なり過食にて後に死ぬこと知らず 同
言葉遊びの得意な大塚さんの作品。一首目の初句は説明っぽい気もするが、結句の「ことだまの香や」という表現が独創的でとても面白い。七草がゆに因んだ歌も実際にあるけれど、
すずな(神を呼ぶ鈴)、すずしろ(けがれのない清白)の意味がおのずと浮かんでくるようだ。二首目、エルビス・プレスリーというとドーナツを思い出す。クリスピー・クリーム・ドーナツを知ったら喜んだかも。三島はエルヴィスの甘いマスクに憧れたのだろうか。それとも低音の声の魅力だろうか。あるいは、熱狂するファンに囲まれたその中心に立ち、冷たい眼差しで女性を見てみたかったのかもしれない。
子を成さぬままに生きればすがりくる手もなし ネイル光らせ歩む 吉村実紀恵
開閉をくり返すドアを杳(とお)く見る「無理なご乗車」もはやせずとも 同
子どもが両手をひろげて親のところに駆けよってくるあの手を持つこともない、パンプスで必死に走って電車に乗ったところで時間的にはそう変わりがない、と諦観のようにもとれるが、無理をせずとも良いではないかと余裕のある年齢になった感じがする。吉村さんは、この3月号から「短歌と色彩① 変容する紫」という評論の連載を書かれている。歌に登場する紫の色について万葉集から春日井建まで、紫の持つイメージや心理について言及されている。
ところで中部短歌は本部が名古屋市にあり、本部歌会も毎月名古屋で行われるが、大塚寅彦さんが年に二回、東京にお越しくださり関東在住の会員たちと関東歌会を開いている。直に歌評をうかがえる良い機会となっている。三月の末に開かれた歌会での、結社誌には載っていなかった堀田季何さんの歌をここに紹介したい。
黄と皇同音なれば今晩も黄帝液を飲み乾す漢 堀田季何
委員長と大統領は比べあふ核ミサイルの嘘のサイズを
委員長と大統領は比べあふ小さく見ゆる脳の大きさを
委員長と大統領は比べあふおのが髪型支持する声を
「政治的」と題した連作八首のうちの四首である。ユンケル黄帝液は滋養ドリンクとして有名なので、「黄帝」という字も知ってはいるが、音的には「皇帝液」→「皇帝の飲む液体」と云う風にもとれる。結句の「漢(おとこ)」も効いている。「委員長と大統領」というだけで金正恩とトランプ大統領だと分かる。比べあう内容が小さくて、しかもどっちもどっちというのが面白い。脳の大きさなんて、誰のであってもそう変わらないと思うのだが。