2016年12月15日(雲嶋聆)

クリスマス、年末……、イルミネーションにどこか浮き足立って華やいでいる街並みを眺めていると、2016年も終わりであるという実感がなんとなく込み上げてくる。

結社誌は年間秀歌の選もある12月号から。

浮かびくる面輪は白し瞑目のしばしを死者は闇にただよふ 古谷智子

一首全体から端正な印象を受けたが、とりわけ四句目の助詞の使い方に心惹かれた。目を瞑っていると、死者の顔がぼんやりと白く浮かび上がってくる、そんな情景を詠んだものだが、連作として見ると、前後の文脈から死者というのが作者のお父さんであると分かる。「レクイエム」と題された連作、静かだが文字の底深くから何かが響いてくるような感じがした。

まだらなる模様の虫の飛ぶほどにエンジン音はまなかひを過ぐ 蟹江香代

高校時代、学校帰りの道で、夏とかだと蚊柱というのだろうか、蚊ではなかったような気がするが、小さな虫の群れ飛んでいるところに遭遇することがあったが、「まだらなる模様の虫の飛ぶほどに」という上句からは、そのような情景を連想した。もちろん、虫が「まだらなる模様」をしているのであって、虫の群れがそのように見えるという意味ではないのだろうが、都会の車道沿いでしきりと唸っているエンジン音とのつながりから、景色としては、そのようなものを思い浮かべてしまった。エンジン音をまだら模様の虫にたとえる感覚が、とても鋭いと思った。

晴れわたる日本の夜のいただきに白き刺身のやうな雲浮く 川野睦弘

象徴的、暗示的な一首だと思った。「晴れわたる日本の夜」という大づかみな言葉がそのように思わせているのかもしれない。ところで、この歌は「ハロウィン」と題し、日本のハロウィンの様子を描写した連作の最後の一首である。ハロウィンは外国由来の10月末の行事。だとすれば、ハロウィンに日本という言葉を対置することで、言葉そのものに動きが生じているように思われる。何かを暗示しているというより、ハロウィンの賑わい、その華やかさとは、すこし距離をおいて一人、静かに過ごす作者の心象風景を「白き刺身のやうな雲」に見立てて描いた歌なのかもしれない。

総合誌は「短歌研究」1月号より。

らうそくは少年の象(かたち)泣かむとし泣きあへぬわれを小暗く照らす 水原紫苑

「魔女」と題された連作の一首。連作のタイトルゆえか、蝋燭という小道具ゆえか、怪しい雰囲気を醸している。ところで、魔女は使い魔をもつという。であれば、ここで詠われている「少年の象」をした蝋燭とは、魔女である「われ」の使い魔であるのかもしれない。実は蝋燭は本物の蝋燭ではなく、使い魔である少年が主人である魔女を照らす、あるいは慰めるために蝋燭に変身したものであるのかもしれない。だから、少年のかたちをしているのだろう。そういえば、「らうそく」というひらがな表記も、少年っぽさを演出しているように思われる。

歌評(月2回更新)

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