2012年7月1日(長谷川と茂古)

6月5日、レイ・ブラッドベリが亡くなった。91歳であった。悲しい、寂しいという感情とともに、面白い小説をたくさん残してくれたなあ、という感謝の気持ちでいっぱいだ。萩尾望都が漫画にした『ウは宇宙船のウ』や『霧笛』、『10月はたそがれの国』。映画化された『華氏451度』、『刺青の男』。それから『たんぽぽのお酒』!『火星年代記』!・・・挙げればきりがない。この夏は、ブラッドベリの世界に浸ろうと思う。

さて、結社誌6月号より。

ベッドより起き上がる時何を謂ふ一本の鉛筆一枚の白紙   稲葉 京子

麻酔の谷間に何かやましきことを言ひしかと一人恥ぢゐる     同

「ノート」と題された一連。手術を受けられたのだろうか。起き上ったときに浮かぶ言葉を書き留めるため、鉛筆と白紙を準備しておく。何時間かのちの自分と、現在の自分が「一本の鉛筆」と「一枚の白紙」によってつながっている。二首目、読んですぐ、泉鏡花の短編小説、『外科室』が浮かんだ。医師への秘めた思いを持つ伯爵夫人が、手術の時に麻酔は使用しないでほしいと懇願する。「麻酔剤は譫言(うわごと)を謂うと申すから、それがこわくってなりません」。麻酔をしないで開胸手術をせよというのだが、それだけ医師への思いが真剣であった。外科室での出来事は意外な展開をみせる。物語の結末は、本を読んでいただくとして、稲葉京子氏のこの歌と、鏡花の小説『外科室』に登場する伯爵夫人の共通点は、「恥ぢゐる」感情である。現代においては、稀少な感情になってしまった。

曾祖父の柩に眠るをつつきたりあどけなき児に不可思議は満ち   大沢 優子

おほかたは俗事語らふ人の間に死者も現世を肯ひゆけるか        同

お葬式の場面。「眠るをつつきたり」で、幼子が「ねえねえ、ひいおじいちゃんねんねしてるの?」という声が聞こえてきそうである。子どもから見た世界は、謎に満ちている。年をとるごとに経験は重ねられ、物事への適応力はついてゆくが、それと引きかえに失ってしまうものがある。親族が集まるなか、死者は祭壇に横たわっている。一つ部屋に現世に生きる人間と死者。一通りの式が済むまでは、魂は現世に残っていると、なんとなく、そういう気がする。あれこれ話している内容を聞いていれば、「そうだよなあ」と死者も思うだろうか。作者の独特な視点が面白い。

一面の焼け跡に子と手を繋ぎ佇つ女見つつゆくわれは勤労動員生  服部 鍈治

変化なき日常にあり夕陽さす病室に今日も一日生きたり           同

「病む」一連の二首。作者は、過去の夢の中に漂ったり、病室での現実と対峙したりして過ごしている。ときには悪夢が立ちあがってくる。戦時中の一場面と、現在病室で「変化なき日常」にある対比が、時間の奥行きを作り連作としての力を感じさせる。

幾十年消されずありし落書きとともに朽ちむか路地裏酒場  内藤 明

尖りたる氷を指で沈めをりオモテニデロといふ奴もなく      同

「短歌研究」7月号より。「断章」三十首のうちの二首。前に置かれた歌に、<「異邦人」閉店>という詞書があるから、「路地裏酒場」の名前は「異邦人」なのだろう。馴染みの店がなくなるのは、哀しい。居場所が減る。テリトリーも狭くなる。酒といえば喧嘩だった時代も遠い。「オモテニデロ」は、映画やドラマの台詞のようだ。郷愁と感傷にあふれる一連であった。 ・・・何を言うかっ、ハードボイルドだど!(by内藤陳) 

―失礼しました―

歌評(月2回更新)

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