2019年12月1日(三枝貞代)
結社誌「短歌」11月号よりまず大塚代表の歌「明治」から三首を
ひそやかに前島(まへじま)密(ひそか)セピアなす切手貼られし葉がき来る秋
大塚 寅彦
白浪の砕け咲きたるジャポニズム北斎の絵ら海越えゆきて 同
黒船がもし白船で来しときのペルリは痩せて威儀なかるべし 同
一首目、〈前島 密〉は明治のはじめ日本に郵便の仕組みを築いた人物、郵便の創業者だ。「日本近代郵便の父」と呼ばれ一円切手の肖像になっている。初発行は昭和22年8月10日である。他の日本切手のデザインがたびたび変更されているなか、一円切手だけは初発行からずっと前島 密の肖像である。ただ額面の位置と「NIPPON」の字体は他の普通郵便に合わせて変更されている。2019年10月1日から消費税率の改定に伴って、はがき料金62円から63円へと変更になり、前島 密の肖像の一円切手を貼った葉書が届いた。誰しも経験する日常のささいな出来事ではあるが、初句〈ひそやかに〉とおいたことによって、歌に膨らみが生まれた。また、年代を経て古くなったからのセピア色ではなく、版式・刷色がグラビア一色なのであるが、セピア色と詠まれていると郷愁を覚えてしまう。前島 密は1919年に逝去しているから、ちょうど100年という歳月を経たことになる。はるか遠い過去から令和時代へと、蘇ってきたようだ。
二首目、19世紀後半、開国を機に西洋との交流が深まっていき、日本から陶磁器や漆器、浮世絵などの美術工芸品が大量に西洋へ伝わっていった。そして西洋の美術、工芸、装飾などの幅広い分野に影響をあたえた。葛飾北斎は日本を代表する浮世絵師であると同時に、世界でもっとも名前の知られた日本人といわれている。富士山を題材にした風景画『富嶽三十六景』は版画の傑作として非常に有名だ。その斬新な作品はゴッホ、モネ、ドガといった印象派の画家を驚嘆させた。北斎のみならず、日本の文化は欧米の人々の間で関心を呼び、一種の日本ブームが到来する。〈白波の砕け咲きたる〉ごとく一大ブームになったのである。〈白波の砕け咲きたる〉という初句から、北斎の『富嶽三十六景』のなかの〈富士山と波〉で世界でも有名な「神奈川沖浪裏」がすぐに浮かぶ。大塚代表はどんな題材でも歌に詠まれる才能がおありになると思う。
三首目、ペリーが訪れる以前は幕府は海外との交渉を制限する「鎖国」政策を実施していたが、ペリー来航後、幕府はアメリカとの間に二つの条約を結んだ。それが1854年に結ばれた「日米親和条約」と1858年に結ばれた「日米修好通商条約」である。
黒船来航とはペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が日本の浦賀に来航した事件。なぜ黒船だったのか。船が木造船だったため、防水防腐作用のある塗料のコールタールを塗っていたというのが事実である。作者はその事実を掴んでいながら、もし黒船でなく白船であったならば、威厳ある海軍将校であったペリーも貧弱な男だったのではないかと詠んでいる。黒にはどこか人を威圧するものを感じるが白は清潔で重圧感を感じないから、その発想にいたったのだろうか。代表ならではの発想の豊かさ、ユニークな視点である。
次に十一月集のトップに掲載された菊池 裕氏の歌、ハザードマップより引く。
脳内の河川氾濫したる日にすうぱあていぼうすうぱあていぼう 菊池 裕
高規格堤防の通称がスーパー堤防である。高さに対して30倍の幅があるため、水が堤防を越えても斜面を緩やかに流れるため被害を最小限度に抑えることができると言われている。国交省が1980年代に整備を始め、首都圏、近畿圏の六河川で873キロ造る計画だったが2010年民主党政権の事業仕分けでいったんは廃止となった。しかし2011年の東北地方太平洋沖地震をふまえて「人命にかかわる」として、整備継続の方針で進んでいる。この10月の19号台風の東日本水害では多くの河川の堤防が決壊し、甚大な被害を受けた。スーパー堤防などの整備されている利根川、江戸川、荒川、多摩川では決壊被害をまぬがれ、再びスーパー堤防の防災効果が注目され、スーパー堤防廃止を訴えた当時の民主党政権が批判されることとなった。このような背景を知ると平易に詠まれているが、深い一首ではないだろうか。作者は超多忙な日々を送る。こなしてもこなしても怒涛のように仕事が押し寄せるのだろう。脳の思考もこれ以上は耐えられず決壊したその日に、巷ではスーパー堤防の防災効果の議論が今まで以上に沸き起こった。自身にも命を守る、スーパー堤防が必要だという心の叫びが一瞬聞こえたのかもしれない。ひらがな表記のリフレインが効果的で、柔らかいなかに切迫感がある。その落差が醸す面白さがあると感じた。時事詠に終わらせず自分に引き付けて詠むことが出来るのはやはり本物の力があるからだろう。
遡るばかりのまぼろしはある日抜けし乳歯のはなびらの色 神谷 由希
多くの方の作品を味わわせていただいたなか、最後まで心を捉えた一首である。作者の歩んでいらっしゃった人生の何ひとつ知らない私であるが、韻律の美しさ、一首の醸し出す不思議な魅力に惹かれた。短歌の定型からはみ出しているが、韻律の心地よさ、その音楽的調べに永井陽子を重ねてしまう。アララギ系の歌人ならばどう歌評するであろうか。乳歯はまだ多くの物を噛み砕いていない故に、汚れも無くまるではなびらのようにはかなく美しい色をしている。過ぎ去った歳月のなか心に追い求めるまぼろしはそんな乳歯に似ている。いや、まさしく〈乳歯のはなびらの色〉と作者は隠喩を用いながら断言している。抜けるということは別れを意味しているのではないだろうか。失ってしまった者への哀傷、ふたたびこの世では会うことの叶わない者への愛しさが静かに私の胸を浸す。
最後に大塚代表の勉強会でご一緒している歌友の池田あつ子さんの第一歌集をとりあげたい。歌集題は『鬱金桜』、亡くなったご主人がお好きだった桜の名前から付けられている。日本では珍しい薄黄緑色(鬱金色)の桜の装丁は、日本古来の趣きが感じられ奥ゆかしい。五十代終りから七十代初めまでの作品386首を一気に読ませていただいた。帯文は大塚寅彦代表、そして跋文は古谷智子氏が寄せられている。最終章「白衣」では四国八十八か所の遍路の旅へ亡き夫を胸にゆき、そしてやり遂げた作者の身のうちを満たす安らぎと達成感が手にとるように伝わってきた。
控え目でそれでいて知性溢れる日ごろの池田さんそのままを感じることができ、彼女の歌世界へ引き込まれていった。骨太で実直な詠みから、飾り気のないおおらかなお人柄が立ち上がってくる。作者のあとがきを読みとても嬉しく思ったことがある。私も初めて読んだ小中英之の歌に魅了された一人で、同じ歌人に惹かれたという共通点にますます親しみを覚えたのである。惹かれる歌が沢山あったなかから、次の五首をあげさせていただくことにする。
濃緑(こみどり)の夫の形見の万年筆われは歌書く太字を愛し
庭隅の小さな石に日があたり金魚の墓と誰もしらない
ふるさとの棚田を巡る水音のわが空洞にひびく短夜
草の上に瑠璃糸トンボ舞ひおりぬ昼ひつそりと透けるたましひ
達成感じわり湧きくる身の内にいまなほ響く巡礼の鈴
池田あつ子さんの『鬱金桜』を読ませていただき精一杯今を生きることの大切さ、真摯に歌に向き合う尊さを学ばせていただけた。心からお礼を申し上げたい。
池田あつ子さんの益々のご健詠をお祈り申し上げます。