2017年11月1日(大沢優子)

十月の終わりは二週続けて週末に台風に見舞われたが、29日(日)に中部短歌95周年の全国大会が開催された。記念の大会ということで、午前は、加藤治郎氏、東直子氏という豪華なゲストを迎え、大塚代表の司会により「良い歌」とは、というテーマで鼎談があった。

 その条件として加藤氏は韻律の良い歌、ポエジーのある歌、修辞に優れた歌の3点を挙げた。また、東氏は世界の見え方が少し変わる歌を良い歌とした。いずれにせよ日常の地平を少し超えて、新たな詩境をひらくことは、私たちのめざす夢である。三者それぞれ立場の違うところもあり、真摯な議論の流れは実り多いものであった。

午後は歌会と表彰が行われ、今年度の短歌賞は神谷由希氏、新人賞は蟹江香代氏に与えられた。心よりお祝い申し上げる。

では結社誌10月号より両者の作品を取り上げたい。

この世の風は未だ知らざり光のみ享けて抱かるる緑児よはや     神谷由希
慣れぬさまに児をあやしゐる声ありて生の時間の濃きをおもへり     同
嬰児は泪せず泣くわが涙裡ふかく迸りながるるものを          同
月夜霊の旅謐かなり疼む身のそのすべなきを懐きてねむる        同
樺いろのカプセルなども服んでゐて生に添へ木をするやうな夏      同

嬰児を詠んだ3首。1首目はこの世に生を享けたばかりの、愁いとは無縁の嬰児への祝意が詠われている。上の句にある「この世の風」が待ち受けていればこそ、今の純粋な幸福が際立つ。2首目は嬰児の母親であろうか?母親というのも、時間をかけて成ってゆくものなのだろう。「生の時間の濃さ」に作者自身の過去の時間も重ねられているように思う。3首目はやや古風であるが、悲しみをもたずに泣く嬰児を見ながら、裡におさえている自身の悲哀こそ涙するものと詠む。4首目「月夜霊」は「つくよみ」と読むのだろうか?韻律が美しく、古典的に整いながら、悲しみがくっきりと伝わってくる。5首目は「生に添へ木をするやうな」の比喩が秀逸である。ひとつの完成された歌を詠み続ける神谷氏の短歌賞受賞に納得し、さらなる深化を読ませていただきたい。

隣り家に幼子来しかいくつもの足音(あのと)さながら笑ひ合ふがに 蟹江香代
をさなごのたて笛聞こゆしあはせの<シ>の音のとき強く響きて     同
玄関の一輪挿しの真白なるゆり未開地のいづみのごとし         同
草叢の中なる命さわぎゐむあたりに青き匂ひあふれて          同
ふくらかに繁る葉桜(さくら)の胸あたり小鳥の声のにはかに灯る    同

蟹江氏は視力のハンディキャップをもつという。自然を全身で、とりわけ音によって感受して詠う。1首目、2首目幼子の動きを音によって表現している。たて笛の音を「しあはせの<シ>」と聞きなすところに、柔らかなやさしい感性が薫る。3首目の比喩「未開地のいづみ」も冴えざえとした美しさがある。草叢のなかの命が青く匂い、また小鳥の声が灯る、といずれも清新で、叙情性の高い表現が魅力的である。静かに泉の水音をきくような歌は新人賞にいかにもふさわしいと思った。

両人とも、午前中パネリストたちによって語られた「良い歌」を詠む作者といえるのだろう。

次に中川佐和子歌集『花桃の木だから』を取り上げてみたい。
本歌集は『春の野に鏡を置けば』に続く第六歌集である。

あとがきに「先行きの見えない日本に住んでいるわれわれを、ますます強く意識するようになった。そういう中で、日常から詠むことによって、どう生きるのか問われている気がする。」と記す。作者にとって家族が変わったことが日常の大きな出来事として詠まれている。息子、娘が結婚し、娘は間もなく母になろうとしている。近くには九十歳の母が独り暮らしをしている。上の世代、次の世代への信頼、気がかり、さびしさなどが綯い交ぜになった心情が、口語を駆使した気負わない表現で詠われている。

百歳をこえても片岡球子描き真に己をゆるさざる貌
「あついでえ」の「でえ」に暑さのましてくる夫にペットボトルを持たす
沖縄の戦火に女が飯を炊き、少女は運び、食ませ、看取りき
玄関でおかあさあんとわれを呼ぶ給食袋を忘れたように
底抜けに笑って笑って嫁にいく永遠という魔法かけつつ
言い知れぬ我慢強さを持つ母にまたもや驚き腕を支える
夢のなか開くがごとき花桃よ子が子を生むというのも可笑し

立ち向かうことではなく、我慢強いということも生きる力なのだと気づく。作者は母を支えようとするが、その都度、母の、この芯にある力に励まされる。

夫はしばしば、戯画化され登場し、やや生真面目な母である作者と絶妙なバランスを保っている。

沖縄を詠う時も少女である自らをその場に立たせ、想像をひろげる。

娘は「笑って笑って」結婚するのだが、繰り返される「笑って」は、いとおしく、悲しいような母の心情をのぞかせている。日常の一瞬から人生をみわたすような飛躍が印象に残った。作者自身は柔らかく世代を繋ぎながら、職業人としての顔を持ち、各地への旅の歌も多い。多面的な日常生活が織りなす、温かな印象の残る歌集だった。

歌評(月2回更新)

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