2019年12月15日(吉田光子)

今年は異常気象だったせいか、ムラサキシキブの実が今も落ちずにかなり残っている。穏やかな陽を受けたつぶら実を眺めていたら、少し前に読んだエッセイが心をよぎった。『負け犬の遠吠え』などの著書を持つ酒井順子さんが、自動車関連の小冊子に『源氏物語』を例として千年前の「さいはひ」と現代の「幸い」について述べられていたのである。それによると、『源氏物語』において「さいはひ」とは、貴公子から見初められたり玉の輿にのったりした女性に用いられる言葉であり、「ハッピー」ではなく「ラッキー」の意味を持つものであったという。そして、たまたま「さいはい」にあずかったとしても、その人生が「ハッピー」であったかというと必ずしもそうではない。理不尽な境遇に身を置き、時には涙するしかなかったのだと思い遣っている。そんな彼女たちに比して、今の女性たちは「幸い」を得るために自分の意志で動くことができる。「ハッピー」を求めて右往左往できる「経過」自体こそが幸せであり、現代の我々はかなり幸せなのではないだろうか。このように結んであった。

打ち重なるムラサキシキブの実の紫が、千年前の姫君の揺れる哀しみとも辛さとも見えた冬の日であった。

では、結社誌「短歌」12月号から。

麺皰取りて「わが身(み)」と言葉(ことば)ありし夜ゆ無数の口に消えし
耶蘇の身   大塚 寅彦
背に負ふはつひに柩となり果てしエスカルゴ引き出して食まれつ  同
こぼれしを雀に撒けば小春日のさして温(ぬく)しよコイン精米   同

イエス・キリストは最後の晩餐で麺皰を手に取り「これはあなたがたのために渡される我が体である」と言われ、葡萄酒は「我が血」と言われたそうである。ミサでは、その聖体拝領が大切な儀式とされているようだ。私は子どもの頃、彦根城の堀端の教会へ日曜学校や礼拝に通っていた。レースのヴェールを被った信徒が跪き、薄いおせんべいのようなもの(ホスチア)を授けてもらっていたことが清らかな雰囲気とともに思い出される。一首目は、鋭く新鮮な視点に、下句が少しばかり怖さを加味して迫ってくる。二首目には、十字架ではなく殻を背に負うエスカルゴへのシニカルとも憐れみとも言えそうな眼差しがじわり波立つ。そして、穏やかな光景の三首目。こぼれて撒かれたた米は、雀にとって主(しゅ)の恵みと言ってもいいのではなかろうか。小春日の暖かさにとっぷりと包まれるような安らぎに満ちている。

メールボックスけふは空つぽ未明には射手座に星の流るるといふ  安藤なを子

あふれる詩情にうっとりとなる一首。つぶやくような一句、二句に作者の寂しさが滲んでいるような気がする。一気に広大な宇宙へと続く展開がとても素敵だ。

停電に「ぬばたまの夜」を今知りぬ月光静かに吾をつつめり  清宮 純子

ぬばたま(射干玉)は丸くて黒いヒオウギの種子。「ぬばたまの」とは、「黒」「夜」「髪」などにかかる枕詞である。台風15号の影響による停電被害に遭われたのだろうか。それとも、台風とは関係なくたまたま大規模な停電となったのか。いずれにせよ、「ぬばたまの夜」を実感させる漆黒の闇に作者は包まれたのだ。電気が途絶えると打撃も不安も大きかろうが、暗ければこそ際立つ月の光に静謐な思いを抱いて立つ作者像が、やわらかく浮かび上がってくる。
次に、藪内亮輔氏の第一歌集『海蛇と珊瑚』から。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく
黄昏をしづかに床に置くといふこの敬虔が何故解らない
「莫迦にした」ときみは言ふけどしてないよどちらかといへばたんぽぽにした
永遠の月、永遠のてのひらに蝶をのせゐつ 死ねばはなびら  
あなたは薄きまなぶたとぢて冬の海のその渾身のひかりを消した  

静かな叙情と、独自の観察眼がもたらす丁寧な描写とが一体となって、豊かな歌の世界を形成しているように思う。何気なく見過ごしていまいそうな情景を、彼は記憶に残るものにさらりと変貌させてしまうのだ。言葉の多面性を確かな磁力で掬い取っているようにも感じられる。また、「あとがき」に興味を惹かれる部分があった。「元来、歌は暗い呪いである。」とし、「歌とは私にとってまず濾過器であった。(中略)歌は激情肌の私から、三十一文字の言葉を静かに取り出してくれた。それは呪いであることが多かったが、生の祝福であることもたまにあった。」と記されている。春日井建先生の『未青年』の「あとがき」には、「短歌ははじめぼくの免罪符でした。悪事や情事をあまりに早く知ってしまった生真面目な少年にとっては、それを正当化するための護符がぜひとも必要だったのです。だから短歌は、三十一枚のお祈りの舌となって、長いあいだ、ぼくの悪行の正しいことを喋りつづけていました。」とある。二人の歌人のそれぞれの想いを比較してみるのも味わい深いのではなかろうか。

令和元年もあと僅かで終わろうとしている。皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

歌評(月2回更新)

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