2019年6月15日(神谷由希)

梅雨に入って文字通り降雨の日が多いが、今年はしとしとと降る<女梅雨>より雷や時に雹まで降らす<暴れ梅雨>の感がある。元号が改まって、一首の高揚感に似たお祝い気分が、なぜか人々の間に蔓延したが、それもひと時の事、世上は何ら変らず事件は相次ぎ、国やわが身の将来を案じる不安が消えることもない。近頃の天候の不順もその象徴のような気がしてならない。詩歌史に<梅雨>が登場するのは近世の俳諧からと言う。
 梅雨の海静かに岩をぬらしけり (前田普羅)

 

結社誌6月号、大塚寅彦代表の作品「もののふ」より抄出

時はいま吉凶いづれと掲げたる紋の桔梗や咲かぬみなづき     大塚寅彦
幾たりのもののふの身の過ぎゆきし甲冑かいま空(くう)のみ容(い)れて
白刃の光見せたる友の居合(をぐな)の眉根消えず逝きにし

抄出一首目。「時は今なり桔梗の旗揚げ」とは余りにも有名な一節ではあるが、桔梗の紋所を掲げた明智光秀は、織田信長を本能寺に攻めて自決させたのち、僅か十三日で豊臣秀吉に敗れ、最後は農民の竹槍に突かれて落命した。無謀ともいえるその挙兵と、悲運の末路は様々語り継がれているが、史実はさておき、信長の専横と策謀家と言われながら謹厳でもあった光秀との確執は、どこか現代のワンマン社長とやり手の営業部長との関係を思わせるものがある。

抄出二首目。甲冑には、義経の着用した有名な緋縅の他、紺糸縅、黒糸縅など様々な種類があるが、いずれも趣向を凝らした兜の前立てと共に武具と言うより芸術品に近く美々しいものである。美術館などで静かに佇んでいる姿を見ると、かつての武人たちの華やかにして威厳にみちた戦場の様子が思われて、そこに通う空気も引き締まるような気がする。

抄出三首目。居合い抜きという技も今はあまり見られなくなった。膝立ちの姿勢から白刃を抜き放って素早く相手を倒す一瞬の剣法を、若き日の作者の友人は学んでおられたのであろうか。白人の閃きにも似て清冽な少年時代に、その一生を終えられたのかもしれない。三島由紀夫の『奔馬』の主人公を連想させるものがある。

 

次に赤尾洋子氏の作品から 

メル友が二人となりて携帯電話(けいたい)の解約せむと心決めたり  赤尾洋子
年古りて重さ気になる携帯を不携帯して出掛ける私
真夜中に携帯青く点滅しそのまま眠れぬ夜もありたり
新しきスマホの機種の並ぶ店わが携帯をおづおづと出す

あれよあれよと言う間にスマホの世の中になって、ガラケーを人の前で出すのも気恥ずかしいほどだ。この頃は学校などの連絡もすべてスマホのようで、老若男女が所嫌わず画面の上を滑らせていく指の動きを見ているだけでも目まぐるしい。作者の気持ちには全く同感、私自身は未だにガラケーのままである。

堀田季何氏の作品から抄出

妻のあと自動改札機を通る付かず離れずとはこの事か     堀田季何
女人なる伴侶を妻と吾呼ぶも妻とは呼びてくれず伴侶は
死にたいと汝呟けば死にたいと吾想ひそむ呟かずとも

他では知らず、「妻」とはっきり謳っているのは、今回の作品が初めてではないだろうか。

抄出一首目。<付かず離れず>の言葉に一種のたゆたいがあって、時に互いが持つ気恥ずかしさと誇らしさが綯い交ぜになっている。今までこの作者が見せなかった初々しさも感じられて良い。

抄出二首目。作者らしいひねりがあり、面白いけれど「当然でしょう」と言いたいところ。あるいはもっと奥深い狙いがあるのかも。

抄出三首目。一読これは懐かしい<Old Love Song>だと思った。この時代に歌の世界とは言え、これだけのRomanticism を発揮できるのは素晴らしい。

 

最後に、今回から「私の愛する一首」(仮題)を取り上げてその理由を書くということなので、以前のHP歌評に載せたことのある『短歌を詠む科学者たち』(松村由利子著、2016年、春秋社刊)の中から、生命科学の研究者<柳澤桂子>の歌を選んだ。

生きるという悲しいことを我はする草木も虫も鳥もするなり

1938年、細胞遺伝学者小野記彦を父として東京に生まれた桂子は、長じてお茶の水女子大学理学部に進み、自らのテーマである大腸菌の研究に関する学位論文を準備すると同時に、遺伝学の研究者と結婚、コロンビア大学に入学する。いよいよ学位論文を書きあ上げようという時妊娠がわかり、七年間研究の現場を離れることになる。1971年、三菱化成生命科学研究所の研究員として、発生学の研究に取り組み成果も順調に得られていたが、75年ごろから原因不明の目眩や吐き気など様々な症状に悩まされるようになった。自宅で臥せりつつ研究を続けたが、病状は悪化の一途をたどり、ついにはチューブによる静脈栄養に頼るほかなくなった。この頃の苦しみが前述の歌の生れる契機である。

冬樹々のなかでいのちは立っている眠れば死ぬと思うがごとく
疎まれず生き終るすべありやなしや彗星は尾を引き去りゆきぬ

やがて病名の正しい診断が下り、同じ頃中城ふみ子の短歌に出会ったこともあって、結社「音」に入会する。初めての歌集『冬樹々のいのち』が刊行され、

刻々が苦しき世にもはこべらの真白き花はさきつづくなり
のように植物の勁さ、優しさを詠んだものが多い。
海豹の胎児に瞳ができる頃海よ静かにさらさら歌え
十五年病臥する身はようように透きてこころは宙に溶けゆく

若い日の桂子はとてもチャーミングである。研究者として恵まれた出発をしながら、病のため断念せざるを得ず、やがて短歌に救いを求めてゆくこころの軌跡が、科学と幻想の溶け合った文体によって、より痛ましくまた美しい。彼女の歌やエッセイはこれからも多くの人を力づけてゆくに違いない。

歌評(月2回更新)

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