2018年10月15日(大沢優子)

第96回中部短歌会全国大会が10月21日に開催され、好天のなか無事に終わった。午前中のシンポジウムは春日井建生誕80年を記念して、「老成の歌」をテーマに発言があった。2004年65歳で亡くなった春日井建を、「老い」を指標に論ずることは難しいが、その老年の姿を想像してみるのも興味深い。

大澤澄子氏は

「死ぬために命は生るる大洋の古代微笑のごときさざなみ」『青葦』を挙げた。生死の普遍性を大きくとらえた歌で、様式美の美しい歌である。謎めいた古代微笑は、生死の内実には踏み込まないことによって、美しい。

古谷智子氏が

「空の美貌を怖れて泣きし幼児期より泡立つ声のしたたるわたし」『未青年』
「十代のわが身焙られゆくさまを灯せばつめたく鏡はうつす」『未青年』

『未青年』より2首を挙げ、そこに包摂される明と暗の綾なす世界を解きすすめた。老成とは、優れた詩精神をもつ若き詩人の中にこそあるものといえよう。

10月号の結社誌より

六月のひと日を過ごす二葉館 稲葉京子の展示があれば    宇都宮勝洋
建氏より『桜花の領』をいただいた若い日があり歌に親しむ    同

文化のこみち二葉館であった稲葉京子展をテーマにした1首目。やさしい言葉を用いながら、心の深みに届く歌を作り続けた稲葉京子を、結社の若手の歌人が心にとめ、詠っていることにほっとした。『桜花の領』は、1984年51歳の時の歌集である。歌集の名前にも、年齢に添い来る艶が感じられる。

茶房にて話し声より足音の美醜が耳をとらへて忙(せは)し   蟹江香代

「足音の美醜」にどきりとする。頭の天辺から爪先まで、というが、足元はとかく神経が届かない部分で、疲れた時の歩き方など思い返してみると、人間の心性が現われてしまうような気がする。視力より鋭敏な聴覚の力を感じる。

関はらぬ方を選びし 野にゐても都会にゐても傍観者となり    池田あつ子

賢い身の処し方というのだろう。傍観者となる方を選んでいながら、必ずしも是としていない気がする。そこはかとない疲労感が歌にただよう。

<使ひ捨て>易き心の生みしものマイクロポリマー海より襲ひ来  日比野和美

海に流されたプラスチックごみによる海洋環境汚染が深刻と聞いている。紙製のストローに切り替えようという運動も始まった。海洋ごみのサンプルを、川の浄化に取り組んでいる友人に、海洋ごみのサンプルを見せてもらったことがある。微細な粒子を見て、このような形でまた我々の元へ戻ってくるのか、と思った。安易なものに就く、我々の「心」が生んでいると考えると現代人の罪はふかい。

上記、宇都宮氏の歌にもある稲葉京子先生の三回忌を前に、間もなく全歌集が世に出る。
生前の十四歌集を一冊にまとめたもので、美しい本に仕上がった。

年譜を見ていくと、幼い頃から様々な病との闘いの連続であったことが知られる。籠りがちの日日は、詩人としての繊細な感性を研いだが、同時につねに自らの傷として不全感を伴うものだった。そのなかから詩歌を紡いでゆくことへの強い希求がうまれた。

目瞑ればありありとして表現者とふ鬼もさびしく辛くゆくなり  『桜花の領』
漂ひて心にのぼる歌のこと待宵ひとつ草生に咲けり     『しろがねの笙』

抽象的な心象が眼に視えるように詠われている。

結社の歴史も100年の記念に触れられるようになった。そのなかで、代表的な歌人のひとりである稲葉京子に直接会ったことのない同人も増えてきたことだろう。今、多くの方に、手に取っていただきたい全歌集である。

歌評(月2回更新)

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