2020年6月15日(大沢優子)
今年も早半年が過ぎようとしている。新型コロナウイルスの流行による自粛生活も解けて、街も少しずつ活気を呈してきたが、以前の生活意識には戻れないような気もする。
結社誌6月号も新型コロナウイルスの流行に触れた作品が多い。
砂浜の砂におゆびを滑らせり母なる星のやはらかき肌 蟹江香代
この星にとりてはヒトもウイルスもたいして変はりなきやもしれぬ 同
触覚を通して詠われる蟹江氏のやわらかい詩情が、静かにこころに沁みる。感染への警戒がもたらす世上のとげとげしさから離れて、母なる世界に身をゆだねる安堵感が伝わってくる。砂浜に触れる手の感覚から、より大きな生命の存在へと思いを広げ、あらゆる生き物の命の等質性へとつながる発想がすばらしい。細分化、分断化される社会とは逆の思想から清浄な世界が現出し、大方のコロナ禍の歌と一線を画している。
こんな時だからジョギング新しいシューズで庄内緑地公園 青木久子
一読すると、文節ごとに躓き、とても不安定な印象が残るが、定型にきっちり収まっている。新しいシューズを履いて、公園をジョギングするという晴れやかな場面なのだが、内側にあるリズムは重い。動詞をもたず、言葉を次々置いていくように詠われている。
他人との接触を避けよと言われ、自由な外界への出口のみえない閉塞感が、近称の「こんな」から感じられる。自己のなかをめぐる「こんな時」の孤独感が、心のありようをリアルに浮き上がらせている。
突然の解雇通告途方に暮れホームに突っ立つ 頭上満月 花 菜菜菜
失業の形で我が身に降り懸かる医療改革の名の政治 同
くやしさに カラカラ笑って息をぬく今の私に取れる手段(てだて)よ 同
今月号は「うたメンタリー わたしの体験詠 コロナ禍に想う過去の出来事」が特集されている。三河地震、空襲、オイルショックなど各人の記憶に残る過去の危機的状況が詠われ、その中から自ずと現代の災厄のなかに暮らす心情が二重写しになって炙り出されてくる。
上記の歌は、病院が機構改革を迫られた、以前の体験らしい。だが、今回の自粛要請で、経営が成り立たない病院が出ていると報道されている。現在起こっていることと受け取ることもできるリアルな歌は、ウイルスの流行が病理的な問題のみならず、社会を根底から変貌させる荒々しい契機となったことを実感させる。何年かして新たな災厄に見舞われたとき、このコロナ禍を思い出して詠うことがあるのだろう。記憶の中に層をなし積もりゆく災禍の一層をなしてゆくにちがいない。
歌人の有沢蛍さんが、最近エッセイ集『虹の生まれるところ』(オリエンス宗教研究所刊・2020.04)を出版された。やさしい言葉で、深い思いが綴られていて心に残った。有沢さんは2013年、黄色ブドウ球菌による髄膜炎に倒れ入院、脊椎損傷の後遺症として四肢の麻痺がのこり、退院後はレインボーブリッジの見えるマンションの一室で療養される日々である。この間の心情は歌集『シジフォスの神話』に覗うことができる。
今回出版されたエッセイは、月刊「福音宣教」という宗教誌の巻頭に載ったエッセイをまとめたものであり、Ⅰ「レインボーブリッジ」、Ⅱ「忘れえぬ人々」、Ⅲ「記憶の図書館から」の3部構成になっている。短いエッセイの後に自作の歌が添えられているのも楽しい。
今は自力で読むことも、書くこともできない状態に置かれているが、記憶の中から紡ぎだされるエピソードが、生き生きとしていて、好奇心に満ち利発な少女時代の思い出や、その後の様々な人との出会いや再会のドラマにも引き込まれて読んでいく。信仰とのかかわりで語られることが多いのだが、誰もが人生で遭遇するいくつかの試練によって、こころの領域が広げられてゆくことに気づかされる。
記憶の図書館で取り上げられた本の数々は、同じ時代を生きてきた私自身にとっても思い出深いものがいくつもある。なかでも三浦綾子『氷点』は、新聞の懸賞小説に当選した作品として、1964年当時の大ベストセラーとなった。15歳の有沢さんと同じように、当時の私も連載小説を楽しみにしていたものである。誰もが羨むような家族にある葛藤の重苦しさは、家族の在り方に疑義を覚える年ごろの私にも共感するところがあったのだろう。
三浦綾子は、若いころから結核による脊椎カリエスのために病臥の日々を送り、短歌に親しんでいた。同じ病を経験された有沢さんにとって、関心を持つのは自然なことであったろう。
綾子が歌の縁で知り合った三浦光世を詠んだ「降る雪が雨に霰に変る街を歩みぬ今日より君は婚約者」が文中で引用されているが、三浦光世は「堀田さんが貸してくれたるアララギ誌クレゾールの匂ひが沁みこんでゐる」という歌を自伝に載せている。「堀田」は綾子の旧姓である。
エッセイの最後に、「原罪、生と死、そしてゆるしについて考えるとき、もっとも読んでほしい作品の一つ」と『氷点』を推しているが、この『虹の生まれるところ』もまたぜひ読んでほしい一冊である。