2015年12月1日(紀水章生)

中部短歌十一月号・春野りりん歌集「ここからが空」より

紀水章生

 

まずは十一月号から…。緊迫感・臨場感覚があり、時間的空間的な広がりや語句の直接的な意味以上のものを感じさせられる作品。

校庭にたたずむ二宮金次郎ゆつくりあるきだして消えゆく /菊池 裕
何もかも大事なことを手放してアウトソーシングにゆだねたり /菊池 裕

一首目、

二宮金次郎の銅像は今も全国の多くの小学校に残っている。これが建てられたのは昭和初期の頃。この頃、日本は国家総動員体制に向かい教育もそういった色の濃いものになっていた。そして、金次郎の勤勉・倹約等が注目され、国策に利用される形で全国で銅像が建立された。こういういきさつがあっても、金治郎の人となりや業績への評価から、戦後、銅像が目の敵にされることはなかったようだ。

現代社会の現状はといえば、こういう戦争にかかわる歴史的な動きも、また金次郎の勤勉・倹約も忘れ去られているということ。いくつかの学校で金次郎像を見たことがある。果たして今、どのくらいの子どもたちが金次郎について知っているだろうか。

二首目、

一見効率化であり合理的と見えることが、実は人間としての営みの一番大切な部分の放棄になってしまっている。確かにそういうことは起こりがちで、この指摘は鋭い。

菊池裕氏は今年(平成二十七年)九月に第二歌集「ユリイカ」を上梓された。その歌集においても鋭い感性が発揮されており、はっとさせられることが多かった。

水に浮くはずだったのに赤すぎて溺死しそうなトマトの群れだ /雪村 遙
断面をさらしたままの悲しみを光るラップに包み眠りぬ /雪村 遙

毎日の生活のなかで食卓にのぼる野菜。ふだんは新鮮か新鮮でないか、美味しいか美味しくないか、栄養価が高いか高くないか、見栄えがよいかよくないか…そういう切り口でしか見ない事になれてしまっている。しかし、ここで詠われている野菜たちはどうだ。いきなり生命を吹き込まれ、まるでぎりぎりのところで何とか生き伸びようとしているかのようだ。このような緊迫感を付与したことで、臨場感のある生き生きとした作品になっている。こういう描き方をできるのがこの作者の優れた点でこれからが楽しみだ。

 

*****

 

二〇一五年七月に本阿弥書店より春野りりん歌集「ここからが空」が刊行された。

周囲へのやわらかい眼差しが表現に生かされている歌。繊細で琴線に触れてくるような歌。自分自身や周囲の事物について内省的に思いを巡らすなかでの気づきが作品に生かされている。また音楽的な響きをもつ楽しい作品もたくさんある。実生活から少し遊離し、こころのひだを奥へ奥へと分け入って描かれた歌。ときには、作者自身が生き物や周囲の自然に溶け込んでしまう。またときには、解き放たれて人ならぬ別の存在へと変化してしまう。あるいは目の前のものが別の存在に変化して動き出す。そんな作品世界を味わうことができる歌集である。

著者は、そういうふうにして歌空間を広げながら、その空間を自在に行き来し、解き放たれた自由な精神として、この世界を見つめながら作品を生み出しているのだろうと思う。だれしも実生活の面では楽しい事ばかりではなく、様々な制約にしばられていると思うが、こういう作品に出逢うと読み手もまた解放されるような気がする。

一、周囲へのやさしい眼差し・やさしさが表現に生かされている

○愛犬のやうな掃除機つれあるくだれにも会へぬ日の夕ぐれは
○インパラの眸をした児らに囲まれて読み聞かせゐるしつぽの童話

一首目、限りなくやさしい歌。連れられて動く掃除機はしあわせかもしれない。

二首目、インパラの眸へのたとえが絶妙。結句の「しっぽの童話」も楽しい。

 

二、繊細で琴線に触れてくるような歌

○ゆるるこゑ、きみのあしおと、かぜのおと、電話に耳をおしあてて聴く
○鍵盤にはじめの音をおくきみちきみをこころに呼ぶときいつも
○わが胸のちさきひきだし閉められずゆふべぽろぽろ弾くマンドリン

一首目、注意をむけて耳を澄ますと飛び込んでくる音。耳をおしあてて聴くという動作から、対象へとまっすぐにこころを向けている感じが伝わってくる。

二首目、大切なものにそっと触れる感じがよくでている。そんなふうにするときの指の感触が甦ってきそうだ。

三首目、抒情あふれる情景でこの作者ならではのやさしくしっとりとした空気感に包まれている。

 

三、音楽的な響きをもつ作品たち

○この街のけさらんぱさらんおほきくてふはふはだからこの街が好き
○手をつなぎでこぽん三つ提げてゆくでこぽんでこぽん靴は空色
○やまぼふし、えごのき、ひめしやら、なつつばき 郵便バイクはゆつくりめぐる

それぞれにひらがな表記がやわらかく音楽的。ひびきが楽しい。

 

四、実生活そのままではなく、こころのひだを奥へと分け入って描かれたような美しい歌。

○あこがれは時間の崖をかけあがる銀のカモシカ 虚空を仰ぐ
○マグリットの鳩のとびかふ日曜日空いっぱいにシーツを干せり
○朝なさなマンションの窓ひらかれて一羽づつ発つ眠りの鳥よ
○運命は馬のたてがみ 撫でながらひきよせて乗る春近き朝
○青草をのぼりつめたる天道虫ゆくりなく割れここからが空

一首目、歌の時空を自由に羽ばたく精神が描かれているようで、タイトル作とともにこの歌集を象徴している。

二首目、 マグリットの鳩は鳩の体の中に青空や雲が描かれている不思議なもの。空にそういうものがあるのなら、シーツもまたそういうふうになるのかもしれない。

三首目、覚醒していくじかんが美しく描かれ、印象的。

四首目、上の句がすばらしい。シャープな表現に生命の息吹がやどっていて美しい。

五首目、タイトル作。そののち歌会の記憶が甦りました。

 

五、ときには、生き物や周囲の自然に溶け込んでしまう。ときには、解き放たれて、別の存在へと変化。あるいは作者の見ているものが別の存在に変化して動き出す。

○草も木も冬芽に夢をしのばせて春一番の吹く朝を待つ
○野良猫に呼びとめられて鳴きかへすたまゆらゆるむ冬のかけがね
○饒舌な春の陽ざしを受けとめてわたくしの頸するする伸びる
○丸めがねのお婆ちゃんをり眠りつつ椅子のなか小さくちさくなりゆく

一首目、春一番は春の訪れのきざし。暗くて寒い冬が早く過ぎてほしい。草木に同化して春を待ちわびているのだろう。

二首目、完全に猫になっている。歌空間のなかでは変幻自在。

三首目、ろくろ首になるのも楽しい。

四首目、スプーンおばさんのようだ。

 

六、解き放たれた自由な精神として世界を見つめたとき、次のような作品が生まれるのだろう。

○この星の芯より和来てたんぽぽのひとつひとつが空の受け皿
○豆ごはん碗によそへり膨れゆく宇宙の行くすゑなど案じつつ
○手触れゐるひとの手よりもきはやかなゆめに渉りし空のてざはり

繊細で切なさを帯びているけれど、明るい色調の素敵な歌集である。

歌評(月2回更新)

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