2012年6月1日(神谷由希)

六月一日。一七三年ぶりの金環日食や、スカイツリー開業等々、先月から地上遥かな話題で賑わっているが、新緑溢れる目の前の景色をもう一度見渡してみたい。昨年の地上の災厄も忘れずに。

まず、結社誌五月号より。

狩野派の襖絵「三顧の礼」に猫の爪痕のこる春の日 大沢 優子

一読した時は淡々とした印象を持つが、作者の連作の前後を読むと、情景が浮き上がって来る。由緒ある旧家の、当時は大枚を投じたであろう襖絵が、猫の爪によって傷つけられている。旧家の現在の在り様、当主の性格まで推測されるようで、結句の「春の日」が駘蕩としていい。

葡萄もておかずや肴をつくるひと 目から鱗の甘酢あんかけ 中山 哲也

一読、面白くもあり又、分からなくもある歌と思った。葡萄はどんな惣菜になるのだろうか。甘酢あんかけとは? つくるひとは誰なのか。葡萄の酸味を利用するレシピがあるのかと、様々想像をかき立てられる。葡萄は、今迄多くの歌人によって、その抒情性、豊饒を詠み継がれて来た素材である。文字通り「目から鱗」の軽妙さ、意外性が、興味をひく一首を創り出している。

再開発終れば隙間だらけなる東街区をぬふ赤きバス 川野 睦広

開発、再開発、常に街のどこかが毀たれ、新しく見知らぬ貌が出現する。いずれ何か建つのだろうが、とりあえずは空地の多い街区を走るバスの鮮やかな赤、「ぬふ」と言う表現で、細い道、入り組んだ街区を想像させるし、以前の街並が見えて来るようだ。

パラソルを広げフランスパンを売るをみなは春の大欠伸せり 大塚 孝子

作者が、ベトナムに旅した一連の一首。未だ記憶に生々しいかつての戦場も、今は観光地となって、パンを売る女がのどかに欠伸している。植民地時代の名残のフランスパンが、屋台で売られているという見聞と共に、ベトナム戦争の記憶との落差は、作者に何を思わせたのだろうか。

続けて「短歌往来」六月号より。

ルビありても解(げ)せぬ子の名の多き世に業平読めぬと駅名変はる 蒔田 さくら子

由緒、由来ある地名は次々棄てられてゆく。因みに、一番人気の女の子の名前は、<陽菜(はるな)>の由。素朴な作者の感慨が、業平橋を知る者にとっては、深く重い。

昨日ありしもの今日なくて風吹けば百日(ももひ)、百夜(ももよ)は生の塵めく 百々登美子

信じられぬ程の有為転変の世を、私達は生きている。風の前の塵のように果敢無く、頼りない生の容(すがた)を、静かに歌いあげて、心に響くものが残された。

歌評(月2回更新)

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