2011年8月15日(長谷川と茂古)

8月10日、館林市で最高気温38.7度を記録し、全国150地点で35度以上の猛暑日となった。午後4時くらいに、近所の人が犬の散歩に出ていたが、犬の肉球は大丈夫なのだろうかと心配になる。さて、結社誌8月号から。

ふはふはの羽衣吊し売る店に天女になりたい人が入りゆく 三浦しき

連作「初夏」から。薄手のショールか、アジアン風の装飾かもしれない。美しい布をみて、「羽衣を売る店」という物語を引き出した、楽しい一首。

オクタヴィア、マダム・アルディ、薔薇の名は毒殺者のごとく馨(かぐは)し 神谷由希

薔薇の名前には、ピエール・ド・ロンサールやアン・ブーリン、W・シェイクスピアなど、多くの人名がついているが、「毒殺者のごとく」と作者独自の見解が提示される。上句の二つの名前に、「薔薇」・「毒殺」・「馨し」と、クラシックな印象でまとめている。

城山の木々の梢を駆け抜けて青嵐吹く生命の匂ひ

なつかしい慰問袋と銘打つて届いた荷物の優しき品々 菊池良江

被災地に住む作者。初夏の山の気を含む力強い風に、パワーをもらったようだ。自然の力はこのたびの地震のように、ときに残酷であったりするが、プラスの働きも持つ。二首目、近しい友人だろうか、「慰問袋」といえる間柄。好物に違いない「優しき品々」を詰めてくれた、その気持ちに読者も和む。

続いて「短歌研究」8月号から。

梅雨晴れの園にひびけり音はづすトランペットとカラスの声が 花山多佳子

「カラスの声が」というだけで、音がはずれていることに対して抗議するような、ユーモラスな空間を想像する。「梅雨晴れ」に外へ出てきた人間とカラスの組み合わせが面白い。

さて、8月といえば、終戦。今月の巻頭から次の三首を挙げたい。

焼けはてし桜の木 つぎつぎに 友のむくろをならべゆきたり

昨夜(よべ)の桜 花さきみちてありし道。友のむくろを負ひて わが行く

焼け原のはてに かすかに浮かびゐし、幽鬼のごとき 富士を忘れず

岡野弘彦「わが二十の桜」より

昭和20年3月10日、東京大空襲。当時を知る知人から、焼夷弾の威力について聞いたことがある。空中でぱっと四方八方に散り、逃げ惑う人に刺さってあっという間に炎に包まれるのだという。連作「わが二十の桜」は、同年4月、巣鴨と大塚の間を軍用列車で移動中、空襲に遭遇したときの様子が描かれている。「幽鬼のごとき富士」が強く印象に残る。桜の木の下に友の亡骸を背負って、並べたという、二十歳の記憶。六十六年を経てその跡を訪ねたときに、ありありと蘇ったのだろう。「たたかひの炎中(ほなか)の桜。まざまざと見えてすべなし。巣鴨・大塚」という詠い出しから引き込まれた。

歌評(月2回更新)

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