2020年4月1日(吉田光子)

去年と同じように菜の花の黄は小川の岸にあふれ、雪柳は風に揺れ、桜は淡々と花開いた。だが、行きかう人は少なく、ほとんどの人が一様にマスクをつけている。新型コロナウイルスの脅威は、いつまでどこまで広がり続けるのだろう。心に重しを乗せたまま、美しいはずの季節が過ぎ去ろうとしている。

では、結社誌「短歌」3月号から

戦前のテクノロジーの黒鉄(くろがね)をオブジェのごとく見て巡りゐつ 
大塚 寅彦
究極の抗ひの語を発したる国なりとほき一二〇八(ひとふたまるはち)  同
塔消えし依(よ)佐(さ)美(み)の空の風に響(な)る〈ニイタカヤマノボレ〉果てしなく  同

第一次世界大戦ののち、日本は当時の技術の粋を集めた国際無線通信施設の建設を計画。そこで、現在の愛知県刈谷市に作られたのが依佐美送信所である。昭和4年の開局当時、鉄塔八基は東洋一の高さを誇り、その後の三河地震(昭和19年)にも伊勢湾台風(昭和34年)にも耐えた。しかし、平成8年に解体され現在では基部と頂上部が一部のみ記念館の屋外に展示されている。そして、多くの貴重な送信機器類は丁寧に整備され送信所記念館内に展示されているそうだ。歴史を秘めた静かな証言者としてのその姿は、「オブジェのごとく」と詠まれている。高い技術力への尊敬と、レガシーを前にした作者の感慨がひたひたと伝わってくる一首である。歌にいざなわれ私も記念館を訪ねたが、新型コロナウイルスの感染防止のため残念ながら休館中。ガラスの扉に額をくっつけておぼろに見るしかなかった。

また、依佐美送信所は第二次世界大戦での日米開戦を指令する暗号電報「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を日本帝国海軍潜水艦に送信したことでも知られている。攻撃開始日を詠み込んだ2首目には、真珠湾攻撃に至る日本の立場に、さまざまに思いを馳せずにはいられない作者の胸中がほのかに滲んでいる気がする。若者に12月8日の意味を問いかけても、多くはキョトンとするばかりだというけれど、日本人として大切に心に刻むべき日だと、この歌は改めて示しているのではなかろうか。

3首目は、耳を澄ませば依佐美の空には〈ニイタカヤマノボレ〉が果てしなく響っているよと歌う。鉄塔が消えた後であっても作者が確かに感じ取っているもの、それは開戦を指令する当時のままの響きであり、また、いつの時代にも地球上に戦争が絶えることがない人類への警鐘でもあるだろう。そしてこの先、開戦指令がひそかに発せられる日が、またくるかもしれないという恐れをも告げているのではと思う。示唆に富んだ一連である。

四歳児ハングル離れて二十日間日本語に遊ぶおかあさんごつこ  寺澤弥生
「アニ!」だけがやうやくわかるハングルの喧嘩の振動ピリピリ伝はる 同

四歳児の言語獲得能力ってすごいなあと思う。韓国から日本へ年末に帰省して20日間。それで、もう日本語を使いこなして遊べるのだから。けれど、喧嘩になり熱くなると韓国語が飛び出してくるらしい。幼いなりに口調は激しく、これは喧嘩しているなと周りの人たちにもわかるのだろう。「アニ」というのは韓国語で「ううん」とか「NO」の意だそうだ。作者には、辛うじてこの語のみ聞き取れたという。暮らしのエピソードを上手に切り取り、生き生きと描いて惹きつけずにはおかない。

入院の母のもとへと兄と行きしアワダチ草の群れ咲きし道   國分徳子
「ここからはお前はバスに乗れ」と兄 小銭握りて不安とともに  同
夕陽背に走り来る兄見守れり一人乗りたるバス後部席       同

13歳の兄と8歳の作者との懐かしい日々が詠まれた一連。兄の漕ぐ自転車の荷台に乗り、入院中の母のもとへ急ぐ様子に胸を打たれる。兄は、途中から作者をバスに乗せたという。しっかり者の兄だからバス代の計算をしてのことだったかもしれない。バスの後部席からお兄ちゃんを見つめる作者。ドラマのワンシーンのような光景が温かい兄弟愛とともに夕陽に照らされて美しい。

張り付いたあの言の葉の毒だろう喉の奥からまだ苦味湧く   井川尚己
青い字の〈やれることリスト〉オレンジのペンで書き込む〈したいことリスト〉 同

呑み込んで忘れてしまいたいのに、作者の心に張り付いて剥がせない言葉。喉の奥から苦さはふつふつと湧き上がってくるのだ。言葉は人をたやすく傷つけもし、温かく慰めもするということを、しみじみと考えさせる1首目である。「張り付いた」、「喉の奥から」という把握にセンスを感じる。次いで、前向きな眼差しでとらえた日常生活から生まれた2首目。ペンの色を変えてリストアップしていることを詠んでいるだけなのだが、青とオレンジで書き込まれたノートが目に浮かんでくるかのようだ。色の選択にも作者の気持が少しばかりうかがえて楽しい。生き生きとしたオレンジ色で書かれた〈したいことリスト〉の願いが叶いますように。

次に、大森静佳氏の第二歌集『カミーユ』から。

歌集名の「カミーユ」は「音の響きのうつくしさに惹かれて決めた」と、あとがきにある。また、出版当時の日本経済新聞には「苦しい目に遭い死んでいった女性たちの声に耳を傾け、生への執念と響き合いたいと思った」との作者の想いが掲載されている。

わたくしが切り落としたいのは心 葡萄ひと粒ずつの闇嚥む 
そののちの長い月日の 狂うとき素足はひどく透きとおるけど
肉体の曇りに深く触れながらカミーユ・クローデル火のなかの虹

1首目は宦官をテーマにした一連から引いた。作者にとって、宦官も理不尽に生きることを強いられた女性と似た立場に映ったのだろう。宦官の心を自身に取り込むようにして詠まれている。彼らが嚥んだ闇の多さ、深さは如何ばかりであったろう。2、3首目は彫刻家ロダンの弟子カミーユ・クローデルに寄り添って生まれた歌。弟子であると同時にロダンの恋人であり共同制作者ともいわれる彼女だが、ロダンを支え続けた末、破局を迎え精神を病む。若さと才能と美しさを兼ね備えていた彼女を、結句「火のなかの虹」に美しく収斂させる一方で、「肉体の曇り」という表現が指し示すのは、溢れるばかりの哀しさ痛ましさが込められた作者の視線である。 

最後に静謐な詩情を孕んだ歌を。

ふる雪は声なき鎖わたくしを遠のくひとの髪にもからむ
手をあててきみの鼓動を聴いてからてのひらだけがずっとみずうみ
秋だね、と秋じゃなくても言いたいよ風鳴るさなかまばたきをして
紫陽花はさわると遠くなる花で(あなたもだろうか)それでも触れる

歌評(月2回更新)

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