2014年6月1日(長谷川と茂古)
名古屋にある「文化のみち二葉館」において、5月20日から<春日井建の世界―没後10年、その軌跡をたどる>と題して企画展が開催されている。愛用されていた机や、三島由紀夫の『未青年』序文・直筆原稿などがみられるようだ。名古屋市在住の方は近くて羨ましい。
結社誌は引き続き、5月号から。「春日井建没後十年」特集で注目したいのは、古谷智子「十年目のテープ」、杉本容子「珠玉の声」、菊池裕「声のメモランダム」と、声について書かれている方が多いことである。私自身、最初に建先生の声を聞いたのは、電話でだった。1995年の秋、入会したてで最新号が届かなかったことがあり、中部短歌会本部に電話したところ、張りのある瑞々しい声が耳に入ってきた。とにかく驚いた。すぐ春日井建その人であるとわかったし、まさかご本人が電話口に出られるとは思いもよらない。菊池裕さんの書かれた電話のエピソードを読みながら、当時のことを思い出した。さて、歌評へ。
ビビッドな先取りもいいぶらり入る千葉そごうさあ、春を編もうか 長瀬ゆう子
「千葉そごう」が効いている。行ったことはないのだが、とても力を感じる固有名詞だ。高野文子の漫画に出て来る、デパート好きな「ラッキー嬢」が浮かぶ。明るくて、前向きな印象は作者そのものなのかもしれない。
寒の内を家にこもりて春を待つほどよく動きほどよく食べる 竹下大和子
家にいるから、「ほどよく」動くことになる。いつもは、もっと活発な方なのだろうか。客観的な見方に惹かれた。己から少し離れたところに視点がある。できそうでなかなか難しい。
小気味よい「こんちくしやう」に「てやんでい」寅の台詞は六腑へ通る 梨本嵩巳
江戸っ子の寅さんならではの台詞である。じゃあ、他の地域でこれにあたる言い方があるか考えてみたが、ない。江戸特有のものだろう。渥美清の寅さん、中村吉右衛門の長谷川平蔵の話し方も味がある。
総合誌は「短歌研究」6月号より。特集は「没後十年 春日井建の世界」。篠弘ら六名によるエッセイと作品再読。この作品再読のなかで、池田はるみさんが書かれた文の終りに出て来る「美しい青年」、当時中部短歌にいた方なら分かるだろう。美しい青年というより、佇まいの美しい人であった。「深山の湧水のような清冽な雰囲気だけが我々に残された」とあるが、確かにその通り。私も彼の存在が忘れられない。全国大会の折、ビールを注いでいただいたりした。 ・・・十年か。あっという間だった。
歌評は、喜多さかえ氏の「音声(おんじやう)」より。
音すれば音へと耳は開かれて天より見ればひとひらの花 喜多さかえ
目交を占め咲きそろふ夕ざくら花また花の奥よりのこゑ 同
「やどりぎ」の方で、昭和4年生れとある。優しさと品格のある詠いぶりに惹かれた。一首目は、聴覚のことと読んでいくと天からの視覚に変わり、二首目は視覚の情報が聴覚へと変わる。花の奥は、どんなこゑを発するのだろう。