2013年2月15日(長谷川と茂古)
2月3日は、節分。京都、吉田神社の節分祭を見たことがある。2日の追儺式は見応えがあるが、3日の夜中に行われる火炉祭も幻想的な景色であった。そういえば、春を呼ぶ行事として有名な奈良の「お水取り」は、松明を振りかざす。古いお札を浄める火、一方は道明りの火。ともに参拝者の健康や幸運を授ける。春は炎とともにやってくる。
さて、結社誌は2月号から。
黒マント飛び去りゆきぬ風にのる梅おにぎりの一枚の海苔 大沢優子
昔われも森を出でしか懐かしき心にきつね襟巻撫でゐる 同
コンビニで売っているおにぎりは、慣れていないとうまく海苔を巻くことができない。書かれている手順通りにしても、端のところで海苔がやぶれてしまったりして手こずる。この歌には、コンビニのそれとは描かれていないから、手作りかもしれない。風のいたずらか、ふっと飛んでしまった海苔を「風にのる」と、目で追う感じが面白い。二首目、きつねの襟巻が懐かしい。首にまいて、(狐の)口で留めるようになっている。最近は、とんと見なくなった。日本において狐と人間の歴史は古い。稲荷神社のように神となったり、狐の嫁入り、キツネ目、きつねうどん、と気象や容姿、食べ物と言葉の範囲も広い。作者は、キツネ族の出であるらしい。
びつくり水差せばたまゆら押し黙る麺はさながらおしやべりな渦 近藤寿美子
わが名前分解されて数となり過去や未来を言はれてをりぬ 同
一首目、結句になるほどと思う。麺をゆでているとき、沸騰してくると一つの生き物のように鍋から出てきそうになる。そこに水を差すとぴたっとしずかになる。「たまゆら」ではあるけれど。見慣れた光景を巧く歌に閉じ込めている。二首目は、名前の画数でみる占いだろう。どこか醒めた感じで話を聞いているようだ。上句、紙に書かれた名前が動くような錯覚を覚える。面白い。
願ひごとかなふ言待(ことま)ち池のふち白きにごりに鯉はただよふ 川野睦広
本殿の東をぬらす宮川の水辺まさしく葉明りに燃ゆ 同
「遠州一宮・小國神社」と題した連作。大国主命を祀っている由緒ある神社。『続日本後紀』にその名が登場するとあるから、相当な歴史である。一首目、「言待ち池のふち」のリズムが楽しい。二首目、本殿の東に川と聞くと、四神の配置だろうか。東の青龍だから川。紅葉狩りに出かけた一連なので、「葉明り」とは赤く染まった葉である。四神の青が隠れていると深読みをすれば、色鮮やかな歌にみえてくる。
海鞘(ほや)、海鼠(なまこ)、海月(くらげ)食ふこそおそろしき内に騒立つ海をおもへば
神谷由希
これら三つとも、生命活動の一環として海水を出入する。だから「内に騒立つ海」。海鼠や海月は、外見を詠うことは多いが体内を思うところに作者独自の視点がある。下句は、正確にいうと、内に騒立つ海を持つと思えば、となるところだが、字余りになってしまう。さて、どうしたものか。・・と考えたに違いない。仮に「海鞘、海鼠、海月食ふこそおそろしきその内に騒立つ海を持つとおもへば」とした場合、575577となる。四句目の字余りはこの場合、怖しさや、生態の特異性を際立たせる効果として良いと思うが如何だろう。575577となる歌は、案外あるように思う。一首挙げると、
俯きてスープ啜りつつ涙落つ固形物食へなくなりて三月(みつき)は経たり
河野裕子(『蟬声』)
読んでいて引っかかりもなく、歌として成立するものと考える。
灰色の空に三本そびえ立つヒマラヤ杉は雪を呼ぶらし 鳥居治子
三本のヒマラヤ杉がまるで空と交信するアンテナのようだ。「三本」が良い。自然と「山」という字を連想させて、「ヒマラヤ」ともリンクしている。
続いて、「短歌研究」2月号より。
なんでこんなかはいいのだろ憎いのだろ「世界のジャズ」の上原ひろみ 坂井修一
北京空港「教授歓迎」フリップをとほりすぎてはふためき戻る 同
北京大から清華大まで運ばるるなんて大きなアウディーの中 同
連作「毛沢東」より。北京へ出張した際の一連である。一首目、「上原ひろみ」に目がとまった。筆者も上原ひろみのファンである。丸の内にあるCOTTON CLUBでのライブを観に行ったことがあるが、彼女のステージはエネルギッシュで、幸福感に満ちている。語り出すと長くなるので割愛する。「憎いのだろ」は、めっちゃ好き、ということ。二首目、「教授歓迎」ではわかりにくかったかもしれない。かといって、個人名を出すのも危ない。暴動の後、という背景を想像させる。三首目、確かに北京は高級車がばんばん走っている。この歌のあとに、「目あくればここは麻布か青山か高級車冬を飛びかふペキン」と続く。経済成長著しい中国。現在は、公害が問題となっているが、かつては日本もそうだった。大気汚染防止法が発令されたのは昭和43年のことである。歌に戻って、「北京大から清華大」の距離はおよそ1.5キロメートル。そこをアウディに運ばれてゆく作者。「なんて大きな」には、さまざまな思いがあるのだろう。タイトルとした、かつての中国共産党最高指導者、中華人民共和国の建国者でもある「毛沢東」は、「ひとつかみアメリカンチェリー左手に、右手10元毛沢東(マオ・ツォートン)」の歌から。