2018年9月15日(三枝貞代)
日本に上陸した台風21号は近畿地方を中心として全国各地で被害を出し、その衝撃も冷めぬ9月6日北海道では震度7の地震に見舞われた。被害にあわれた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。テニス全米オープンで大坂なおみ選手が日本勢初優勝したニュースは、日本国民を元気づけ明るくしてくれた。彼女の大活躍と、愛されるチャーミングな人柄に私も魅了された一人である。これからの活躍もきっと歴史に残っていくことだろう。
それでは結社誌「短歌」9月号より
合歓の木の陰にも斑に差し込みて炎暑のひかりわが頬を打つ 杉本 容子
帰名なす友を迎ふる設へに赤まんま挿す野に立つように 同
一首目、合歓の花は淡紅色の雄しべが長くとても美しい。今年の異常とも言える猛暑のなか、繊細な淡い花は充分に咲き切れただろうか。合歓の木下にいても、差し込んでくる炎暑のひかりは作者の頬に鞭を当てるほどの厳しいものだ。結句「わが頬を打つ」としたところに、味わいがある。自然界からの叱咤激励のように感じたのではないだろうか。杉本容子先生はこの春に大切なご主人様を亡くされた。何があっても時は刻々と流れていく。平易にさらりと詠まれている情景でありながら、言葉の奥から作者の心情が私には伝わってくる。二首目、名古屋から離れて別の土地に住んでいる友が久しぶりに里帰りされるのだろうか。帰名とは、違う土地から名古屋へ帰って来る事を言う。久しぶりの再会をさりげなく詠まれているが、友の帰りを心待ちにしている喜びが溢れている。イヌダテの俗称として、「赤まんま」「あかのまんま」「赤まま」と呼ばれる。粒状をした花(薄片)に包まれた実を赤飯に見立てた名前で、昔の子どもがままごと遊びなどをした。昭和10年の秋に新・秋の七草として高浜虚子に選ばれている。下句の「赤まんま挿す野に立つように」から、友に秋を感じてもらいたいという作者の優しさが充分汲み取れ、余韻の残る一首である。
桃色のパッションフルーツ果物の南の島の記憶をたべる 大澤 澄子
掲出歌にあるパッションフルーツの和名はクダモノトケイソウ(果物時計草)という。時計のように見える花のトケイソウの仲間で、果物を実らせる種から由来すると言われている。英語ではトケイソウをパッションフラワーと呼ぶことから、果物の方はパッションフルーツの名前が付けられた。また、栽培する土地によっては色々な呼び方があるようだ。世界の熱帯から亜熱帯で栽培されていて、日本においては鹿児島県が生産高日本一である。作者は旅先で食べたのだろうか。クダモノトケイソウという和名を知った私は、この歌の結句「記憶をたべる」という表現がいかに推敲された結句であるかに唸ってしまう。種から育ち人々の口に入るまでの年月、パッションフルーツは栽培されてきた島の出来事や、その実が体験したことを記憶として内に秘めていると作者は思ったのだろう。果物の仕舞っている記憶をたべるという発想の新鮮さ、視点の斬新さが私を惹きつけた一首である。
瀑水のとどろくさまを紙魚が消す名も無き絵師の滝の図あわれ 山下 浩一
掲出歌はタイトル「紙魚」から一首。「紙魚」とはシミ目シミ科の原始的な昆虫の総称である。体形が魚に似ているので「魚」の字を用いる。体は細長く翅はなく、一面に銀色の鱗におおわれよく走る。衣類や紙類などの糊気のあるものを好んで食べると言われている。あまり有名ではない絵師の滝の掛軸であるが、そのとどろく滝の光景はみごとであり見入っていると一匹の紙魚がすすっと走ってきて流れ落ちる滝の絵の上に止まった。その瞬間を見逃さない作者の感性が一首を生んだ。初句から三句まで一気に詠まれ、何事だろうと読者を引き込む。ささいなハプニングをも一首に仕上げる力量が素晴らしいと思う。
艶やかな桜桃の実の思い出は初めての刺繍のその赤き色 大堀 せつ子
六月は泰山木の季節なり花を数えて話題も弾む 同
一首目、「さくらんぼ」のタイトルより引く。作者は中部短歌会の中津川支部長を長い間務められている。中部短歌会に在籍されて30年以上になられる大先輩である。卒寿を過ぎた作者は今年のさくらんぼを見てふっと思い出したのだ。初めて刺繍をさした時のその感激を。桜桃の色彩から、遥かな昔に初めて刺した刺繍へと心を飛躍できる豊かな感性がうかがえる一首だ。手先が器用でいまでも編み物は趣味のひとつであり、温かいお人柄と前向きな暮らしに元気をいただいている。二首目、泰山木はモクレン科の常緑高木で花は初夏に咲く。芳香のある白い大輪花である。花言葉は「前途洋々」「壮麗」「威厳」。一首の詠みもおおらかであり、明るい。「花を数えて話題も弾む」というこの四句、五句に作者の充実した暮しがくっきりと立ち上がってくる。短歌を詠む仲間も弾む話題の中にいたことだろう。ますますのご健詠を祈っている。
次にこの六月に上梓された、同人の木下容子さんの第三歌集『花星霜』をご紹介したい。
読んでみたいと熱望して作者より送っていただいた。歌集を手にした瞬間、なんて清浄で静謐な佇まいを醸し出している歌集だろうと思った。真っ白な紙にドクダミの花数本が慎ましく咲いている。まさに作者木下容子さんその人を連想する装丁であり、書名の『花星霜』から、四季折々の花花を愛で、流れゆく歳月のなか自身に降りかかった運命を受け入れ、そして強い精神力でま向かう木下容子さんの真の姿が、はやも立ち上がってくる。
著者略歴を読むと、2008年に斎藤すみ子先生に勧められて中部短歌会へ入会されている。入会よりも約24年前から短歌の道を歩まれており、2004年には第一歌集『繭のぬくもり』を上梓され、2016年には第二歌集『海膨らめり』を上梓された。また同じ2016度には中部短歌会において奨励賞を受賞されている。
作者はその奨励賞受賞の言葉のなかで「日常生活のなかでいつも独り言のように書き溜めていたことが私の作歌の原点です」と書かれている。また、2008年に中部短歌会に入会と知り、結社誌2009年3月号の新会員紹介の欄を繰ってみた。作歌のきっかけとして、歌人であられた亡きお母様の影響が大きかったこと、また同じく歌人であられた亡き伯母様の歌集出版に畏敬の念で胸が熱くなったことが記されている。作者には短歌を詠む天性の素質が備わっているのは確かなことであろう。過酷な病気と闘う日々のなかにあって、その素質に甘んじる事なくさらに精進しつづける姿に敬愛の念を抱いた。
起きぬけは動かぬ両足摩りつつまずは立たり今日という日に
掲出歌は大塚代表が帯文に挙げられた一首である。大塚代表の帯文を書かせていただく。
――本集は自身の「遠きバプテスマ」を思う一首から歌い起こされる。難病によって車椅子にある作者だが、そこから立ち上がり両足で地を踏みしめ立つことで「洗礼」による「再生」を日々繰り返しているのだとも言える。折々の「花」を愛で「星霜」に時の流れを感じる、試練でありあるいは恩寵でもある不自由な生の重力にあって、心を飛翔させるものとしての歌、それを常に希求しやまない作者の想念が新たな一冊を生んだ――
この、大塚代表の帯文にもあるように作者は敬虔なクリスチャンである。木下容子さんに降りかかった病名は、120万人に一人の割合で発症する、チャーグ・ストラウス症候群という難病である。現在治療を受けている患者数はおおよそ1900人と推定され、遺伝的要素はほとんどないと考えられている。まだはっきりとした原因は不明である。第二歌集『海膨らめり』のあとがきに、作者はこう記している。〈「神経が傷つき、両手足の抹消神経に障害が残る病気で、あなたが全国で460人目です」と、医師に告げられた時、今後の人生の道標をいただいた思いで即座に「大丈夫です」と答えていた〉と。受け入れられないほどの衝撃はきっとあったことだろう。しかし作者の強靭な精神は非情とも思える難病を、自分に与えられた神からの恩寵のように受け入れた。まずその器の大きな人となりに尊敬の念が湧きあがってくる。花星霜』の目次を繰ると最初の小タイトルは「花星霜」、その中から三首あげてみる。
新雪に埋もれおりたきこの身なり歳月重し遠きバプテスマ
蕺草(どくだみ)の白の清けさ巡らせる月日の中に吾は育てり
このわれを育みくれし年月に星あり花花ありて星霜
一首目、バプテスマとは「洗礼」のこと。幼い時に洗礼名「ハンナ」を授けられてより敬虔なクリスチャンとして歩んで来たわが道に思いもかけない運命が降りかかった。神から与えられた試練であり恩恵といえども、その歳月の何と苦しいものであろうか。降り積もる新雪に埋もれて安らかな時を過ごしたい。「新雪」は温かかった亡き父母の懐のようにも思え、また生まれ故郷の雪国山形への懐かしさを覚える作者が、私の胸に迫ってくる。二首目、今年も蕺草(どくだみ)の白い花が清清しく咲いている。こうして花花を咲かせる時の流れのなかで私も育ててもらっているのだ。苦難もまた自分を育てているのだと言い聞かせる作者の姿が見えるようだ。三首目、『花星霜』のタイトルはこの一首から取られたのだろうか。宇宙のなかに存在するわが身を含めたすべての物を愛おしみ、生きる今に感謝する作者である。次に私の好きな歌の中から、特に心を惹かれた歌を数首あげてみたい。
不自由な四肢に耐えいる日々にして怒りに変わる刹那のありぬ (秋晴れより)
車椅子より立ち上がり一歩ずつ足裏に確かな筋力動く (秋晴れより)
今朝の水心地良きこの冷たさを春の到来としひと山越えん (今朝の水より)
雪解けのさやかなる音掬いつつ水車は廻る時を待ちおり (天に任すより)
うつむきて靴下を脱ぎ今日という再びあらぬ一日終る (悠久の音より)
「春風と思って下さい」ペン先に力入らず一筆添えぬ (春の足音より)
陽に当たり木肌に凭れ聞きており平成三十年の桜木の歌 (桜吹雪より)
一首目、これは私に与えられた運命だといつも寛容でいられる訳がない。耐えて耐えて日々を笑顔で暮らしていても、言いようのない怒りが込み上げる瞬間がある。率直な詠みに胸を打たれる。二首目、筋力が動く、そのささやかな喜びが静かに詠まれている。三首目、春は必ず巡ってくる。今の苦境もひと山と思って越えていこう。作者の強い意志と、希望を見出そうとする姿勢を感じる一首。四首目、水車は作者を投影している。理屈なく私の心に響いてきて涙が出そうになった。簡潔な詠みのなかに深い情感がこもっていて詩情がある。五首目、春日井建先生の一首「またの日といふはあらずもきさらぎは塩ふるほどの光を撒きて」を思い出させてくれた歌である。かけがえのない今日という日をしみじみと思う作者である。六首目、作者の優しい豊かな人物像を読み手は浮かべることができる。七首目、一年一年が格闘の日々なのだ。ここはどうしても平成三十年を入れなくては作者にとって意味がない。今を精一杯生きている作者を私はひしひしと感じる。
歌集『花星霜』のあとがきに木下容子さんはこう記している。
「何故歌集をつくるのか、それは創造する過程において、自分の生きた心の歴史、変遷を証として知ることにあると思う。何よりその工程が楽しく充実している。歌がどのように私を育ててくれるかを楽しみに、ひたすら書くことの中で気がつき学ぶ日々である。
歳月の中で育てられ、土に還るという恵みを思い『花星霜』とした」と。自分に襲いかかった過酷な病いを天からの運命と受け入れ、自身の人生に感謝しつつ強い心で乗り越えていかれる生き様の何と尊いことだろう。厳しい闘病の現実の日々には人知れず流す涙は計り知れないと思う。けれど生かされてある今に感謝し、希望を胸に未来へと自身を奮い立たせるその精神の強さと豊かさに感銘した。この世に存在する小さな命に注がれる優しいまなざし、そして現実のわが身を臆することなく赤裸々に詠む勇気は、難病に苦しむ多くの方々に生きる尊さを教えてくれ、希望を抱かせてくれることだろう。魂の叫びを作歌への情熱に昇華させるその生き方は私の胸に深く刻まれた。
木下容子さんの第四歌集出版を今から楽しみにしている。