2017年9月15日(吉村実紀恵)

今年の7月、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界文化遺産として新たに登録された。登録直後は観光客が急増するのが常だが、沖ノ島は許可なしでは一般人が上陸を許されない神域で、しかも女人禁制だそうだ。同じくユネスコの事業の一つに、世界記憶遺産(「世界の記憶」事業)というのがある。文書や絵画などの歴史的な記録物を保存し、広く公開することを目的としているから、こちらは誰でも容易にアクセスできる。日本初の記憶遺産は、炭鉱記録画家・山本作兵衛が描き残した炭鉱画である。炭鉱労働者としての50年にわたる実体験を描いた画文集『炭鉱に生きる』は、炭鉱労働のありのままの世界を緻密に描き出していて、引き込まれる。

今になってこの画文集に興味を持つきっかけとなり、また同様に心を打たれたのが荒川源吾歌集『青の時計』である。

みづうみはとほく閉されあの日見し虹たたせむとうたふうらごゑ
みづうみに水充ちたれば聞こえくるダム湖の底ゆ坑夫うたふ歌
ズリ山の火は消えて風化せり吾知らぬ吾の詩(うた)におどろく

今年八十八歳になる作者はかつて、炭鉱労働者のサークル誌『ひろば』で執筆活動をしていた。本歌集において、炭鉱労働の経験を直接的に詠んだ歌はそれほど多くない。だが、1961年12月に刊行された『ひろば』21号に寄せられた作者の、「職場に於ける人間の死と文学」という文章を読むと、自身の体験を詩の言葉としてどのように昇華させようとしてきたのか、その思いの一端に触れることができる。

涙を流したり泣いたりしている中からは決してすぐれた詩は生れない。涙をふき取り、泣き終つた地点からこそ書き始めるべきなのだろう。仲間が地底にひき殺されて声をつまらせ、げんこつを握りしめて、そこで書いた詩は、いかにふかい憤りが波うつていても、どこかで涙のもつみだらなものと決別していないものなのではないか。

過酷な労働環境の下で、炭鉱事故の犠牲者は後を絶たなかったという。作者も毎年のように仲間の死と向き合ってきた。そして炭鉱産業の衰退と、閉山。当時の涙や憤りから生まれた詩は、所詮は無責任な感傷に過ぎなかったのではないか、と作者は自問する。

上記の文章から50年以上を経て編まれたこの歌集には、涙をふき終えた作者の、その内側で密かに続けられてきた死者との対話の時間が、31文字となって結晶化している。

かたつむり行くものどんどん行かしめて終はった世界のしづけさに居る
死ぬる時すべてが終わる終つて尚終わらぬものを生者に負はせ
じゆんじゆんと樹液はのぼる木の背をこの世の時間に死者還すべく
複眼の眸みひらき幾千の向日葵ゆれる黄の風のなか

続いて結社誌9月号から。

映写機のリールにあらずからからと夜ふけの涼をよぶ扇風機   川野睦弘
そのファンもモーターもはや古びたり弱中強にこだはりながら   同

自分を登場させず、家電製品だけでここまで詠える作者の力量に感心する。長年愛用してきた扇風機だろうか。低年式の扇風機が立てる音は、DCモーター採用の高級扇風機とは違い、どこかたどたどしい。その音を映写機のリールに例えたところが秀逸だ。記憶を巻き戻す装置のように、それは蒸し暑い夏の夜も扇風機一台でしのげた日々へのノスタルジーを呼び起こす。二首目。古びてもなお弱中強の機能を持ち続ける扇風機の「こだわり」は、時代が変わり、年老いてなお自分の仕事へのプライドを保ち続ける人間の縮図を見ているようでもある。

いやしかしいやいやしかし繰り返し衣類の廃棄進まずにをり   坪井圭子
もう誰にも奪はるることなき人になりてベッドに吾を待ちゐる   同

断捨離ブームとはいえ、身の回りのモノ、特に衣類を捨てるタイミングは難しい。「やっぱりまだ着るかも」という心の声との戦いが、上句の音とリズムに絶妙に表現されている。だが二首目を読むと、ここで捨てようとしている衣類は自分のものではなく、病床に伏す夫のものと想像できる。モノへの執着心を捨てきれないのではなく、夫の今後を思いやる愛情が、捨てるに捨てられない状況を生み出しているのであろう。そして、いまや闘病中の夫がベッドでひたすら待つ女性は、自分のみ。哀しさと艶めかしさの入り混じった表現に、女の情念がにじむ。

〈営巣中〉貼り紙ありてスーパーの巣の仔燕の二羽が口あく  稲熊千代子
ささやかな食堂営み五十年店を閉めると兄よりの手紙       同

営業と営巣をかけて、営巣中とはしゃれている。仮に貼り紙が〈ツバメの巣注意!〉であったなら、作者は頭上の仔燕たちにここまで優しい視線を注ぐことはなかったかもしれない。二首目と対で読むと、一段と味わい深い。生まれくる小さないのちを育むための営巣と、細々とした営業で多くの人の胃袋を満たしてきたであろう、兄の食堂。新たに始まるものを愛おしみ、終わりゆくものをかみしめる。いずれもささやかな日常の中に生まれる、温もりのある詩である。

歌評(月2回更新)

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