2019年9月1日(雲嶋 聆)
コオロギというと、秋の虫のイメージが強いが、最近、夏でも鳴くのだということを知った。暑さの厳しい8月であっても、夕方、道を歩いていると、どこからとなくコオロギの涼しげな鳴き声が聞こえてくるのだ。どうしてコオロギと秋が結びついたのだろう、そのことが不思議に思われてくる。
さて、結社誌は8月号から。
ネガといふ異世界のなかくろぐろと花咲き満てり幼年の春 大塚寅彦
「大塚寅彦の短歌は懐かしい。」という一文で、藤原龍一郎はセレクション歌人シリーズの『大塚寅彦集』の解説を始めているが、この歌を目にしたとき、それを思い出した。一体、この歌のどこに懐かしさを感じたか、個人的な語感の話かもしれないが、「ネガ」や「異世界」、「くろぐろと」や「幼年の春」という言葉がそれぞれ持っている微かな懐かしさに反応したのかもしれない。ちなみに、『大塚寅彦集』の解説では、「気持ちの良い技術力と適度な通俗性がないまぜになった刺激」による懐かしさといっているので、この歌から私の感じた懐かしさとは異質なものかもしれない。
ネガはもちろん写真の陰画だが、常にポジと対になるこの言葉からは、文明の裏側というのだろうか、明るい西洋技術主義の後ろで秘かに育まれてきた暗いオカルティズムのにおいがする。異世界という言葉や、くろぐろと花が一面に咲いているイメージが、そのにおいをこれ以上ないほど強めている。「咲き満てり」と表現されることで、花の様子がより鮮明に伝わってくる。「幼年の春」というのも、「It」ではないが、幼年期の懐かしさと恐ろしさのない交ぜになった気分を表現しているようで、とても惹かれた。もしかすると、「月刊ムー」での笹公人との対談が影響しているのかもしれない。
隠すため月は明るし砂浜を卵生のもの這ひてゆくなり 大沢優子
「卵生のもの」というのは、ウミガメの子だろうか。夜の海辺、砂の中から、何十、何百と押し合い圧し合いしながら這い出してきた生き物が、パタパタと鰭を動かしながら、懸命に海へ海へと向かってゆく様が眼裏に浮かぶ。ウミガメの子は天敵が多く、海に入るまでにカモメやカニなどに襲われて命を落とすものがほとんどだと聞いたことがある。月は、そんな彼らを隠そうとして、あえて明るく照っているのだろうか。隠されたものをさらけ出すために、本来明るくあるはずのところを「隠すため」と見た作者の眼差しに、驚きと同時に魅力を感じた。
あの器械どこにしまわれあるのやら午睡を覚ます氷かく音 石田禎
二句目から三句目にかけての切れ目の曖昧な調べに、何か夢と現の間をさまよっているような不思議なたゆたいを感じた。そのようにたゆたう感じと「午睡」という言葉が共鳴しているような気がする。ところで、「あの器械」とは何を指しているのだろう。「氷かく音」といっているから、かき氷をつくる器械だろうか。シャリシャリという清涼感あふれる音と「覚ます」という言葉もまた共鳴しあっている。初句の「あの」によるものだろうか、一首全体を懐かしさに似た空気がおおっているように思う。小野茂樹の「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」もそうだが、「あの」と指示対象をあえて明示しないことで読者はそこに自分の物語を代入することができる。この歌を読んだときに感じる懐かしさはそれに起因するのかもしれない。
桜花咲きてむなしく散りにけり吉野の山はただ春の風 源実朝
源実朝の歌は万葉調のおおらかな詠いぶりといわれることが多いが、私はあっけらかんとしたニヒリズムを感じる。ここに挙げた歌もそうである。「むなしく」というのが、いくぶんくどいように感ぜられるものの、「芳野」という字を当てられるほど当時すでに花の名所として名高かった吉野の山を「ただ春の風」と言い切った虚無感、それもニヒリストであるところの自分に酔ってみせる類の虚無感ではなく、かつて太宰治が「右大臣実朝」の中で「明るさは滅びの姿であろうか」と作中の実朝をして言わしめたその「明るさ」に通ずる乾いた虚無感に、思わず声を上げて笑ってしまった。この底抜けに明るいニヒリズムこそが、実朝を実朝たらしめているものなのではないだろうか。
そもそも彼の生きた中世、貴族政治が崩壊し、平清盛以降、武士による力の支配が本格化する変動期であった中世は、無常観や末法思想の蔓延るニヒリズムの時代だったように思う。
そういえば、「方丈記」の鴨長明は実朝と同時代の人であり、はるか鎌倉にあって藤原定家の教えを受けていた実朝の正式な歌の師として鎌倉へ下向したこともあったという。もっとも、何が原因であったか、実朝をほとんど教えることなく、庵を結んでいた京のあたりに帰ってきたらしいが。「方丈記」が書かれたのが、鎌倉から戻ってきて以後であることから、実朝との邂逅が「方丈記」執筆の重要な契機であったと、唐木順三や太宰治は指摘している。
無のなかに美を見るということでいえば、実朝の歌の師であり、「金槐和歌集」の編纂者でもあった藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫やの秋の夕暮れ」が有名であるけれども、同じ無を題材にしているとはいえ、実朝のさっきの歌とは趣がまるで違う。
和歌的な抒情とでもいうべきか、定家のものは優美だが感傷を誘う韻律であり、実朝の歌のあっけらかんと乾いた調子とは対極に位置しているのだ。