2012年12月15日(紀水章生)
まずはNHK短歌二〇一二年十一月号より。天野慶氏によるジセダイタンカのコーナーの「雨、それから」七首(小林朗人氏)にとても惹かれた。その中から三首。
夏風にハルジオンみな枯れ落ちて(それでいい)でもあの日の雨は /小林朗人
画用紙の裏に描かれた夕暮れが夜の台所で燃えている /同
対岸の風だけを聞く 触れてくるどの光にも目を閉じながら /同
一首目、映像が浮かぶとともに、それが変化していく時間の流れを感じさせられる。下の句では心象が語られ、物語として紡がれる。
二首目、上の句も下の句も情景は象徴的でインパクトがある。しかもこの二つは相乗効果を及ぼしあって強めあっている。
三首目、初句二句は端的な表現ですんなり入ってくる。その上で第三句から結句の言葉により、意味やイメージが強調され陰影が深くなる。
いずれの作品も言葉やイメージが効果的に使われ機能するなかで、読み手に鮮やかな心象を残す。こういう作品をもっと読みたいと思った。
短歌研究十一月号には「新進気鋭の歌人たち」という特集が組まれ、中部短歌の中畑智江氏も紹介された。「八月三日、十六夜」十首より三首。
骨ひらき傘は広がるなめらかに従うことの美しい朝 /中畑智江
雨やみて雨の音だけ残りたる耳のふかくに亜麻は戦ぎぬ /同
草で切る指先これは罰ですか逢うも逢わぬも知らぬ原っぱ /同
日常の一シーンを切り取っているが、そこを切り口にしてそれだけにとどまらない独特の世界を垣間見せてくれる。中畑氏らしい素敵な作品だ。
他に特に惹かれたのは服部真里子氏。「夏の骨」十首より三首。
はつなつの光よ蝶の飲む水にあふれかえって苦しんでいる /服部真里子
湖の近くに家があると言うなるべく嘘に聞こえるように /同
なにげなく掴んだ指に冷たくて手すりを夏の骨と思えり /同
いずれもイメージは美しいが、初句からの展開がすこしずつずらされていて、結句に至るまで緊迫感がとぎれず、どきどきさせられる。
小林朗人氏は京大短歌に所属。京大短歌といえば大森静佳氏、藪内亮輔氏が所属。短歌研究十一月号には「学生短歌会 合同合宿レポート」という記事があり、小林朗人氏は廣野翔一氏とともにも登場されている。
服部真里子氏は本年度の歌壇賞を受賞され、結社誌十二月号の堀田季何氏による「時評☆短歌のくらくてさむくもないかもしれない未来(その5)」にも紹介されている。
ここで取り上げた若手歌人の作品についてはこれからも目が離せない。
次に中部短歌結社誌十二月号会員欄より。
アルツハイマー 小石数える小さき手に夕陽の射して老女うるわし /清水美織
絵画的な美しさを感じる一首である。この作者はそういう描き方に優れている。ただ、結句の「老女うるわし」はやや安易で残念。ここは「うるわし」と言わなくてもそこまでの描写で十分にそう感じられると思う。もう一首…
やわらかな陽射しもやがて死に向かう雲が袂を分かつ秋の日 /清水美織
陽射し、死、袂を分かつが響き合って情趣を深くしている。「も」については一首を独立させる意味で「は」の方がよいと思われる。
親指をぐいと押し込み皮をむく甘夏かおり息抜くわたし /谷口誉子
上の句に迫力と臨場感がある。第四句まで引き込まれた。が、結句はそのまま言ってしまって残念。第四句を少しふくらませて工夫すれば結句のニュアンスを表現できると思う。
風あれば風に従ひ揺るるたび花を増やして蕎麦の花畑 /後藤洋一
自然の描写が美しい。小さな変化に気づき、また見えないものを感覚でとらえて描写した作品がある。また音感や表記にも気を遣っている。
静寂を常とすホームの昼どきを時間を媼粗茶をすすりて /後藤洋一
「を」が幾度もでてきているがこれは意図してのものだろうし、効果的である。また、これが意図であるのなら、「を」を重ねてたたみかけ、媼を途中に挟まずに結句の最後へもっていってみてはどうだろうか。
会員欄のさらなる充実を楽しみにしている。