2020年9月1日(神谷由希)

九月に入って朝晩は漸く少しは涼しくなったものの、日中の暑さは耐え難いほどである。
新型というヴィールスの跳梁するまま、世界はあっけない位その様相を変えてしまった。ひたすら身を守って引き籠るしかない私達の上に、さらに熱中症という災厄が降りかかってきた。昔なら占い者が易を立てたり、星を読んだりして、災厄退散のため、寺社が大掛かりな祈祷をするところだが、現代人は科学の明晰でいながら、時として分かり辛い方法にすがるしかない。しかしこの混乱の中でも、人はマスクを手作りして楽しんだり、お菓子作りに挑戦したりして何とかやり過ごそうとしている。人智は、常に予想外の底力を持つものと沁み沁み思う。

結社誌八月号より

ZOOM(ズーム)アプリのインストールをしませうと手順丁寧に記されてをり
井上恒子
夫には「声も姿も出さないで」部屋を整へ念入りメーク

オンライン会話と題されている連作は、コロナ禍に関する作品が圧倒的に多い中でも、異色と言えよう。対面やグループで行う講義が大半休みになってしまった現在、なかなか意欲ある講座だが、パソコン講座とあればむしろ当然だろうか。特に二首めの夫には「声も姿も出さないで」と言い、部屋の背景を片付け、念入りにメークするという件りは面白い。リモート会議などもそうした気遣いが多いと聞くが、突然飼猫が画面に飛び出したり、子供の声が入ったりするハプニングがあって和ませると聞く。

イヤミスより後味わるく読みてゆくパンデミックの色別の街街   大沢優子

イヤミスという言葉は今回初めて知った。読んでいて気分が悪くなるような、嫌気がさすような類のミステリーを指すらしい。早川のポケミスに始まって様々な分野のミステリーに
親しんできたが、知らず知らず読んでいたかも分からず、猟奇的、スプラッタ的な作品もこの範疇に入るのだろうか。<コロナ>なる言葉を使わず、日々生々しい色分けで説明される地域によるパンデミックの恐怖、その結果たる地区別の混乱が一首の中に浮き彫りにされてくる。

尾の長き黒猫いたく狂暴とあちらこちらに取沙汰を聞く           杉本容子
わが猫は野良の裔にてお徳用大袋の餌をぱりぱりと食む      同
つづきゐるテレビの首相会見を猫だけがまだ眺める夜更け     同

猫は意外にテレビが好きで、ことに動物が動き回る画面は(特に同類の猫など)興奮のあまり、とびかかったり、奇声を発したりする。特定の人物が好きで、食い入るように見守っている時もある。我が家では東京から横浜時代、飼猫を切らしたことがなく、延べ100匹以上飼っていると思うが、一匹として血統書はなく、捨て猫ばかりだった。様々な毛色のうち、<黒猫はいたく狂暴>についていえば、黒猫は非常に活発で身軽く、そんなところが魔女の使いのように言われてきたのかもしれない。知力は猫一倍(?)鋭く、肉球まで黒いもの、白いソックスをはいたようなものは、福猫と言われるので何卒世の猫好きに免じて、悪戯の件はお許しくださるよう、重ねてお願い致します。

続けて佐藤弓生著『うたう百物語』(2012.株式会社メディアファクトリー社刊)より

納涼のためと称してお化け屋敷や、ホラー映画など夏場は様々登場するが、百物語は少々時代が古い。怪談会の作法として何人かが集まり、百本の蠟燭を灯してひとり一話ずつ怪談を語り、終われば蠟燭を消してやがて百本目が消えて真の闇となったとき、妖怪が現れるという趣向だが、江戸時代にには肝試しと称して武家の若侍などが良く行い、また民間でも流行した。妖怪が現れないように九十九本目で終わりにするという説や、岡本綺堂の覚書だったか死者を見たという終わりがある。作者のあとがきに「怪しい短歌百首を紹介しながら、その背後の物語を読みといてゆく積りが背後から別の物語がこだまのように掌編の形でやってきた」と記されている。たしかにどの掌編も、この世とかの世の間のきらめく言葉の橋を垣間見せて、言霊という珠の魔力を信じさせるのではないだろうか。少なくとも短歌を知る者にとっては、永遠の憧れであるその「たま」を。以下、やや怖い短歌を無差別に並べてみた。

おしいれに小さな人がいるときは少しよぶんに鼻歌うたう     佐藤弓生
歯の生えている女陰こそたのしけれ井戸覗きたる首ひきあげて  阿木津 英
包丁に獣脂の曇り しなかったことを咎めに隣人が来る     魚村晋太郎
埋められた死骸はつひに見つからず
砂山をかし
青空をかし                          夢野久作
たはぶれに望遠鏡もて眺めゐし星の上にも人の縊らる       多田智満子
腐りゆく美しき花のにほひする老女のほほをみつめくらしぬ       村山槐多
帰りたい と言ひしばかりにその夜をのしかかりくる闇のありけり なみの亜子
静かなる首飾りたち一つずつ首が充たして草原となる          飯田有子

歌評(月2回更新)

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