2018年10月1日(雲嶋聆)
次から次に発生し、まるで人間をあざ笑うかのように日本列島を通り過ぎていく大型台風だが、台風〇号と数字で彼らを表すのは日本だけであるという。聞けば、世界標準というのだろうか、名前のリストが存在していて、世界ではそのリストの順番通りに名付けていっているそうである。人名に使われる名を付けているというから、そこには怪物じみたこの自然現象を人類の仲間だと宣言することで鎮めようとする呪術的な無意識が働いているのかもしれない。
呪術といえば、結社誌9月号には「オカルトと短歌」という講演録が収録されていた。今年の6月に金城大学にて行われた大塚代表の講演の記録である。短歌の呪術的な詠まれ方が紹介されていて、その中で源実朝の「時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ」という歌も「「雨止みの呪文」ということで、一二一一年(建歴元年)七月の水害に際して」詠んだものであるというふうに紹介されていた。雨は個人的に嫌いではないが、外出時に濡れるのも鬱陶しいので、台風や秋雨前線で雨が多いと、「雨止みの呪文」も唱えてみたくなる。
さて、短歌は結社誌9月号から。
啼き交はすことなく蝶らもつれ飛び墓所(はかど)のわれの頭(ず)を越えゆけり
大塚寅彦
二匹の蝶の「もつれ飛」ぶ様子が三句目までのかすかな屈託を含んだ捩れるようなリズムによって巧みに表現されている。「秋の笑まひ」と題されたこの連作は墓参りを詠んだものであり、「秋空と雲のいろなる竜胆と白菊供へきみを喚(よ)びをり」という歌が入っているところから、ここに描かれている二匹の蝶は作者と「きみ」の喩であるのかもしれない。ただ沈黙のうちに飛ぶ蝶の様子を描いているのだが、初句に「啼き交はす」と置いて二句目で素早くそれを「ことなく」と打ち消すことで、かえって彼らの啼き交わさないという事実が強調され、そこに帰らぬ人となった「きみ」ともはや言葉を交わすことができないという作者の悲しみが刻印されているように思われる。二匹の蝶に託された離別の悲しみという点で、明治時代の詩人北村透谷の詩に二匹の蝶の別れを描いた「双蝶のわかれ」というものがあり、それを思い出した。透谷の詩は、一つの枝に安らっていた二匹の蝶が夕暮れの鐘の音を契機に東西それぞれに分かれて飛び立ったといったものだが、ここには激しい恋愛の末に結婚した石坂ミナとの心理的な懸隔が影を落としているといわれている。物理的、心理的という違いこそあれ、離別の悲しみを詩的象徴へと昇華させている意味では両作品に相通ずるものを感じる。
離別の悲しみといえば、8月に上梓された本会同人の鷺沢朱理氏の処女歌集『ラプソディーとセレナーデ』(短歌研究社)でも、時には自身の体験に根差し、時には歴史や古典に材をとり、様々なかたちの離別を深い情念を込めた流麗な文語体の調べに乗せて詠っていた。
天に向かふ祖父の手のひら握りしむ氷雲(ひうん)をつかむごとく冷たし 鷺沢朱理
青柳よなぜ死にしかはわれ遺しなぜ死にしかは口惜しや君 同
一首目。作者のお祖父さんとの死別を縦軸に、作者から見たお祖父さんとお祖母さんの関係を横軸に編まれた連作「鳶ケ崎の二人」の中の絶唱である。「天に向かふ祖父の手のひら」を握りしめる作者、という劇的な場面を切り取り、その「手のひら」の感触を「氷雲(ひうん)」という美しくかつ感覚にぴったりくる言葉を配することで表現している。たしかに亡くなった人の肌は触れると異様な冷たさと、ゴムのような不思議な弾力を感じる。おそらく、目の前に横たわっている人の生前に触れた時の温もりと現在の感触の落差に脳が戸惑ってしまうのだろう。氷も雲も水に関係する言葉であり、そこから涙さらには悲しみという言葉の暗示を読み取ることもできるのではないか。
二首目。こちらはデュエットの趣をなす「ラフかディオ・ハーンの主題による変奏曲「青柳のはなし」」と題された連作の男性パートである「友忠」の中の一首である。柳の精である青柳の死を嘆く「なぜ死にしかは」のリフレインが詠み手である友忠の悲痛な心情を余蘊なく伝えている。ここで興味深いのが最初のものより後の「なぜ死にしかは」の方が悲痛さを増しているように感じられることである。おそらく随所に散りばめられた「si」の音が調子を整える助詞の「し」よろしく一首全体の調子を整える役を担い、後の「なぜ死にしかは」まで言葉が堰き止められることなく流れるようにしているため、最初と後でこの言葉にかかる重みに違いが生じているのだと思われる。