2013年1月1日(長谷川と茂古)

2013年の今年は、癸巳。十干の十番目(終わり)と、再生を表す巳の組合せである。これを書いている12月は、民主党政権が終わり、自民党が復活したわけだが、何が新しいということもない。・・といって世を儚んでみても仕方がないので、何の兆しがあるというのか、しっかり見ていこうと思う。

さて、結社誌は12月号から。

八十八の祝賜ぶとか慎みて受けむ何程の世を生き来しか       大野かね子

米寿のお祝い、行政からだろうか。八十八年を通してみた「何程の世」という言葉が重い。

中学の学び舎出でて五十五年古希となる子に幸の多かれ       松井好子

こちらは、子どもが古希。親の目を通して眺めた時の重なり。この先も、「子に幸多かれ」と詠う、まっすぐな気持ちに目がとまった。

おもむろに明度を落とす夕空へ蝙蝠幾つはためき出でつ       森 治子

角曲るヘッドライトは実り田を一瞬光の刃もて薙ぎたり        同

夕方に飛ぶ鳥、というとムクドリが思い浮かぶが、こちらは蝙蝠。「明度を落とす」が蝙蝠のイメージと合う。二首目は、結句の妙。どちらも巧みに作られている。

夜更けまでエアコンの風にさらされて真夏の夢は冷えてしまつた   紀水章生

『真夏の夜の夢』という戯曲があるせいか、「真夏の夢」に物語を感じる。それがどんなお話なのか、読者の想像力をかきたてる一首。

ヘチマなど知らぬ世代の子ら通り「ゴーヤ、ゴーヤ」とみな触れて行く 竹内友子

緑のカーテン、アサガオとともにゴーヤもよくみられるようになった。以前は、ヘチマで体を洗うスポンジ状のたわしを作ったり(種と果肉をとって干す)、化粧水を作ったりしたものである。ゴーヤーチャンプルがお惣菜として当たり前になった、現代らしい様子が描かれている。

続いて総合誌は「歌壇」一月号より。

三日三晩かけて播きたる小麦なり二十二ヘクタール緑あふるる   時田則雄

ひろ~い畑地をバックに時田氏の写真とともに掲載されている。「二十二ヘクタール」。どや。

――ものすごい説得力である。「三日三晩」かかる、というのも凄い。十勝の歴史とともに大地と向き合う暮らしから溢れる言葉。力強い。

歌評(月2回更新)

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