2012年10月1日(長谷川と茂古)

中部短歌会は今年、創立90周年を迎えた。全国大会が開かれるこの10月、結社を紹介する動画が作成された。歴史を感じさせる貴重な写真もあるので是非ご覧ください。トップページ、下のほうにある「YouTubeのサイトからご覧になれます」をクリックするとジャンプします。

さて、歌評は結社誌9月号から。

虹彩炎葡萄膜炎せめて眼は遥かなる空をなだめつつ病め      斎藤すみ子

歌は視覚的にも鑑賞される。漢字は多用するとマイナス感が強いのだが、この歌の眼目はやはり「虹彩炎葡萄膜炎」だろう。「炎」は勿論炎症のこと。けれど、<ほのお>という読みも意識され、<虹のごとく彩なす炎>といった美しさを感じる。「葡萄」と「炎」の組合せも魅力。

はつ秋の稲田を渡る風の唄さりさりさららさらららそらら     森 治子

稲穂が風にゆれているのをみると、囁いているような、歌っているような気がしてくる。軽快な「さりさりさらら」。繰り返しの「さららら」。風を起こす空も一緒に歌うような「そらら」。下句全部がオノマトペという、思い切りのよさが印象深い。

「身罷(みまか)る」「身籠(みごも)る」も同じやうなこと人は隠れる荒梅雨の日日
坪井 圭子

しなやかに喉に鮎をすべらせる鵜となり呑まむ明日は胃カメラ     同

いきなり、死ぬのも生まれるのも同じだと言われて、はっとする。「身罷る」はこの世から隠れ、「身籠る」はお腹に人を含み持ち、中の子は人から隠れているのだという。面白い視点である。そうして結句、集中豪雨から家に隠れて過ごしていると、徹底して「隠れる」。二首目、胃カメラを鵜飼いの鵜になったつもりで呑むぞ、という心積もりに笑ってしまう。「明日は胃カメラ」だと思うと憂欝になるのを、機知に富んだ歌に仕上げた。

若き日にわれを捨てにし人いまは老いて病み臥し便り届きぬ    桜井 五月

強い歌である。「病み臥す便り」かな、と思うが。「われを捨て」たのは、親だろうか、それとも恋人だろうか、いずれにしてもドラマティックである。「われ」の気持ちが書かれない分、読者は想像力をかきたてられる。

次は「短歌研究」10月号から。

表紙に「創刊八十周年」とある。おめでとうございます。創刊当初は、改造社から出版されていたようだ。以前、歌舞伎座の近くで「改造社」という看板をみつけて、驚いたことがある。今は書店(販売)のみの経営らしい。巻頭からはじまる特別エッセイのなかで、篠弘の「創刊前の「短歌研究」昭和六年十月説として」を興味深く読んだ。<これに先駆けて刊行された『短歌講座』十二巻(昭和6・10~7・9)の月報と見るべきものが「短歌研究」と命名され、かつ月刊誌へとそのまま直接継続されていた>とある。版元の改造社についてや、当時の歌壇の様子とともに詳しく書かれている。是非、ご一読を。

さて、がらりと変わって。

朱夏ツキテ白秋ホロビあかねさす聖アナウンサー阿部知代渡米    藤原龍一郎

阿部知代(フジテレビのアナウンサー)・・・。と、思わず「・・・」となってしまうのは何故だろう。そこにはベテラン以外の付加価値が確かにある。セクスィーな服を着る、バブルの気配を残している、お局的存在だがそこはかとなくコミカルである。とまあ、思いついたことを挙げてみた。「渡米」とあるので検索してみたら、少し前ニューヨークに赴任したようだ。「朱夏」「白秋」、ここでは人生の季節として使われているのだが、いやいや。彼女は「ホロビ」たりしない。ニューヨークで一段とパワーアップして帰ってきてほしいと筆者は願う。「あかねさす」「アナウンサー」「阿部」の頭韻と言葉遊びを取り入れて、とことん遊ぶのも熟練の技。

「歌壇なるものは何か」とはじめたり月報一号白秋の問い      三枝 昂之

詞書として「「短歌研究」はまず『短歌講座』の月報としてスタートした」とある。「何か」と疑問を持つのは、「歌壇なるもの」がある程度熟してきたことに他ならない。昭和6年、『短歌講座』が刊行される前月には満州事変が起っている。赤彦死後から6年、牧水の死後3年、夕暮が口語自由律短歌を提唱して3年、白秋46歳の晩年にあたる。この「白秋の問い」は、現在においても有効ではないかと、結句は思わせる。

歌評(月2回更新)

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