2012年4月1日(長谷川と茂古)
春分を過ぎて、ようやく暖かくなってきた。桜は、4月に入ってから見頃を迎えるようだ。花は毎年変わらないのに、見る側はその時々に抱える感情をうつしながら眺めている気がする。さて、今年の桜はどのように映るだろう。
まずは結社誌3月号より。
白菜は赤い着物の女の子に変身をして新年号来る 谷口 誉子
愛らしき表紙絵しばし見つめおり声かかるのを待ちいる様に 板津恵美子
中部短歌誌の表紙は、一月、白菜から赤い着物の女の子に変わった。白菜はたっぷりと水分を抱えて美味しそうであったし、手毬を持った女の子は真紅の着物が少し大人びていて人を惹きつける。イラストは深津真也氏。編集発行人である大塚寅彦、第一歌集『刺青天使』の表紙も氏によるもの。谷口作品の、白菜が「変身をして」が良い。かぼちゃが馬車に、ではないが、一月号の表紙をみたときの驚きが込められているようだ。板津作品では、思わず声をかけたくなると表現するところを、「声かかるのを待ちいる」と主体を逆転させ、対話しているような構成が面白い。「見つめおり」のあと一字あけると、主体が変わったことをよりはっきりさせられると思うが、どうか。
給料日送金三つ印字ある旧き通帳に子育ての吾居り 日馬 真代
「印字ある」、「吾居り」と現在形にすることで、入ってきたのをすぐに送金しなくてはならなかった子育ての大変な時期が、現在にぱあっと蘇った感じが出る。この歌に作中主体の現在の様子はどこにもいないのだが、過去と対峙することによって、また新たな一歩を踏み出すような予感がある。
レイテより生還なしし兄いまだ壮健にして九十を越ゆ 永冶八重子
それはすごい、と思わず声に出してしまった。すぐに大岡昇平の『レイテ戦記』が思い浮かぶ。壮絶な戦いから無事に生還され、戦後の日本の変わりようをいかに見ておられるのだろう。伺ってみたいと思った。
続いて「歌壇」4月号から。
ふところから水晶玉をとり出す気配もあらず猫の眼青し 小島ゆかり
「雪凍る窓」のなかの一首。犬と水晶玉なら『八犬伝』なのだが、猫である。「ふところから」何か出してくるのは、ドラえもんと決まっているが、体が青いのではなく、眼が青い。なんだろう、と気になった一首。何度か読むうちに、これは‘猫の眼が青いよ’と言っているだけなのでは?と思うようになった。「ふところから水晶玉をとり出す気配も」ないくらい確信をもって、猫の眼が青いのだ。
ガラス窓ふるへゐる見て地震かと身構へしのち風と知るなり 松坂 弘
「ビルの西側」一連の一首。一年を過ぎてもなお余震が続く現在、窓の震えを見るだけで地震かと身構えてしまう。風のせいだとわかって脱力するような、読後感がある。震災後、わたしはタンクローリーをみるとテンションが上がるようになった。「ガソリン来た―」と心のなかで叫ぶ。もう二度と、ガソリン待ちの行列に並びたくない。