2015年6月1日(雲嶋聆)

雨の季節がやってきた。
一昨年公開されたアニメーション映画「言の葉の庭」は万葉集にある柿本人麻呂の相聞歌

雷神(なるかみ)の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

雷神(なるかみ)の少し響みて降らずとも吾は留まむ妹し留めば

が物語を推し進める重要なキーワードとなる作品で、雨と恋愛が物語の核となっていた。そして、タイトル通り、というべきか、物語の中で殆ど大きな事件が起こることもなく、主に登場人物の対話すなわち言葉によって作品世界がしっとりと構築されていた。
人は言葉によって物を認識する。
たとえば、同じ藍色を見ていても、藍色という言葉に馴染みのある人にとってそれは藍色だが、青色にしか馴染みのない人にとっては青色である。同じ物に対しても、十人十色の認識があり、十人十色の言葉があるから、結社誌5月号の次のような歌が生まれるのだろう。

同じ歩幅と独りよがりに思ひきし句を詠む人の歩幅が違ふ(渡邉信子)

同じ物を認識していると思っていたが、いざ歌に詠んでみるとなんだか違うように認識していた、というような気持ちが一首の中からにじみ出ている。この歌の次には、「思考のずれ」という言葉の入った歌も配置されている。言葉というのは不思議な物だと思う。
というわけで、結社誌5月号から、心惹かれる言葉の入った作品を引用してみる。

しろがねのプラネタリウム球体は星ぬすびとの棲家ならずや(大塚寅彦)

みはるかす空に野原にふりそそぐきさらぎきらきら光の微塵(玉田成子)

異形なるビル白く立ちまつろわぬ一陣風の頭上吹き抜く(国枝章司)

足元のみどりの声援そういえば春は下から始まるんだね(青木久子)

花宮殿(けくうでん)にきみは居まさぬ桃ばなの散るを知らざる黄泉に居まさぬ(鷺沢朱理)

「異形なるビル」は言葉のうしろにある物語への想像力を掻き立てられ、「きさらぎきらきら光の微塵」や「みどりの声援」は言葉そのものの手触りにしっくりとくるものを感じた。「星ぬすびと」や「花宮殿」は言葉そのものの美しいイメージはさることながら、物語への想像力も掻き立てられた。
これらの歌に出合い、詩歌の言葉は読む人の認識を根底から揺さぶりうるものなのだという気に、少し大げさかも知れないが、改めてなった。

総合誌は言葉をテーマに特集を組まれていた「短歌研究」6月号から。

個生命がかたちをかへて生きのびる言はばこのペットボトリズム(江畑實)

「ペットボトリズム」という連作のタイトルにもなっている一首だが、どんどん再利用されて行くペットボトルのあり方を輪廻思想に結びつけて「ペットボトリズム」としてしまったところに面白さを感じた。

潰れたら取り替へるだけ自爆テロ戦士もペットボトルのひとつ

予約ひしめく典礼会館われわれの死ですらペットボトルのひとつ

生命(あるいは死)という、人間にとって本来、宿命的なまでに重いはずのものを、ペットボトルという日常のごくありふれた、150円くらいの物質に置き換えてしまう倒錯に、読んでいて少し慄然となった。
これがペットボトリズムなのだろうか。

歌評(月2回更新)

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