2014年12月1日(長谷川と茂古)
前回から少し間が空いてしまいました。
ここで、HP歌評担当について簡単にご紹介いたします。アップロードは堀田季何(ほった・きか)。中部短歌サイバー支部の担当でもあります。俳句でも活躍中、来年は歌集刊行の予定です。書き手への依頼担当は長谷川と茂古(はせがわ・ともこ)、よく男性と間違われます。
さて、再開といたしましょう。
結社誌11月号より、
連隊の跡地にそそる美術館 ガラスの城は墳墓のごとし 古谷 智子
二・二六 どうと倒れし若きらの見開くひとみか潤む千の葉 同
連作「まなこ」は国立新美術館を訪れたときのことが詠われている。すぐ横に建つ別館には二・二六事件で決起した歩兵第三連隊兵舎の一部が残っていて、その入り口には当時の弾痕もある。国立新美術館の設計は黒川紀章。波を打つようなガラスの壁、曲線の美しい近代的な建物と、歴史的事件の現場。現在と過去の時間が重なるようで、心が動く。ちなみにこの美術館と外苑東通りをはさんだ東側には、歩兵第一連隊跡のミッドタウン。足を延ばして北へ向かった赤坂サカス・TBSが近衛歩兵第三連隊跡である。現在のおしゃれな場所が軍の施設跡、というのはなんとも興味深い。二首目、葉の形が亡くなった兵士の眸となって、様変わりした赤坂付近を見ているようだ。
秋の陽のあふるるほどに溜まりをりベランダに佇つ空き瓶の中 蟹江 香代
ペットボトルかと思いきや、ベランダに空き瓶を置いているようだ。一本か、それとも複数なのか、回収の日までカゴかなにかに入れて集めているのかもしれない。陽のあたるベランダに、空き瓶が美しく光っている光景が浮かぶ。茶色であれば、落ち着いた暖かみのある感じ。水色の瓶なら清らかな光、透明の瓶ならばきらきらと反射しているだろう。結句の「瓶の中」が良い。
天空に挿す一輪のあぢさゐは紅流(こうる)藍流(らんる)の雨を降らせり 鷺沢 朱里
美しい幻視。紫色を構成する赤と青の色を考えるとすんなり受容されるだろう。紫陽花を「天空に挿す」大胆さに拍手したい。
続いて総合誌は「短歌研究」12月号より。
一角獣らしき存在おとたてずこころの青銅地方を歩む 大滝 和子
現実の景色ではないが、不思議に説得させられる強さがある。「こころの青銅地方」という言葉が意味するのは何だろう。「地方」ということは「こころ」をいくつかの分野にわけている。「青銅」からくるイメージは、どこか原初的な、洗練されていない、古い、といったものだ。また、一角獣は伝説の動物。ふと思ったのは、東山魁夷の絵にしばしば登場する白馬である。静かな森、湖の風景に登場するが、白馬を置くことによって視点が定まり、絵のなかに調和が生まれたりする。 いにしえの時代、人間の想像力によって生まれた、力強く、勇敢な「一角獣」。ポイントは「らしき存在」である。はっきりと像を結ばないところに、心象風景、或いはまぼろしなんだという理(ことわり)がある。しずかな時間、こころの奥底に分け入っていくと、いつしか一角獣(素の私)のようなものとなって、落ち着いた気持ちになる。そんな歌意ととった。