2014年2月15日(神谷由希)

いよいよSOCHI冬季五輪が始まった。<国威をかけて>と言うけれど、何時から開会式はこんなにきらびやかに、豪勢になったのか。その陰に、自然破壊、環境破壊も取沙汰されているのに、莫大な国費が費やされての結果であろう。かつて記録映画ながら、主題曲の美しさと共に、全世界にアッピールした「白い恋人たち」の冒頭、グルノーブルの白雪の上に、上空から撒かれた真紅の薔薇の鮮烈なイメージは、当時の観客の眼に灼きついていると思う。あのように、簡素ながら美的な演出は、何時失われて終ったのか、惜しまれてならない。
 結社誌二月号より。

隠し部屋あらむひそけき花舗のなか頬あを白き男子(をのこ)はたらく  大塚寅彦

何処か思わせぶりな歌である。<隠し部屋>、<花舗>、<頬あをき>と続くと、読者はどうしてもある種の想像をせざるを得なくなる。客の出入りの余りないひそけき花舗、その奥の隠し部屋に誘われる合図は、一輪のアネモネだったりして。

良し悪しが風にもありて1/fのゆらぎをみどり子に買ふ        中畑智江

連作の中で作者は、妹の懐妊から里帰り、出産までを、自らの体験を重ねながら細やかに詠んでいる。良き風、悪しき風は今後、子の身の上に吹くかも知れないが、とりあえず<良き風>たる機能を持つ扇風機を、子の為に買うと言う行為と、伸びのびと咲き継ぐひまわりへの思いが、何処かで繋がっている感がある。

飲めざれば人生おほかた損をしてゐるなりごつごつ人とつきあふ    洲淵智子

下戸としては大いに共感できる作品。アルコールが入れば時として円滑に進む会話も、素面ではうまくいかない場合がある。結果、ごつごつ人とつきあう事になるので、当人としては決して本意ではないのだけれど。

葉を捨てし冬の梢の刻みゆく貫入の空に「青裂(せいれつ)」の銘を  池田厚子

<貫入>は、陶磁器の表面に見られる繊細なヒビで、茶人はこれを賞玩する。澄んだ冬の青空に落葉した梢のえがき出す線を、貫入に見立てて「青裂」の銘まで打った作者の、茶人としての心、静謐なまなざしが見えるような気がする。

原宿の駅は小さな谷にありひそやかな森したがへてをり      長谷川と茂古

若者の街として名高い原宿。最近その人気も様々な街に分散しつつあるようだが、相変わらずの華やぎと裏腹に、原宿は広大な神宮の森に擁かれ、普段は使われないひっそりとしたホームからは、緑ゆたかなその一部が見られる。折々に美しい花が咲いていたりして、車中の眼を楽しませてくれる。作者の目は的確にそれを捉えた。

熊よ 昼間仏頂面で通しても閉園後には大いに笑へ     吉田佳子

熊のごと人の老後も悲しからむ生命あるもの全て哀しき    同

「熊よ笑へ」と題した連作の中で、作者は見られている立場の熊の、自由のない生への憐れみから、人の老後、生命のかなしみにまで敷衍している。熊は、人目のない所で何を笑うのだろう。作者にシニシズムが、そこはかとなく感じられる作品。

「歌壇」一月号より。

アンケートの言葉はつねに虚ろなり約半分が反対しても     吉川宏志

原発をやめよと書きし文字濡れて身体(からだ)の濡れて言葉を運ぶ  同

私達は、色々な場所で、色々なアンケートを受ける。然しその結果が、正しく何かに反映される事はないような気がする。特に政治的な意味においては。若しくは何に使われ、どんな効果を持つのかすら、認識していない場合も多い。「原発」については、多くの歌人の作品があるが、デモに参加した歌人は稀なのではないか。例え傍観者であっても、作者の気持は、その時デモ隊と共にあったと言えるであろう。それ故、前述の歌の、<言葉の虚ろ>が活きて来るように思う。

歌評(月2回更新)

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