2013年8月1日(大沢優子)
「老い」をテーマに詠うことが、注目されて久しい。特にテーマとして意識せずとも、毎号の結社誌に年配の方が、自らの在り方を詠うなかから、それぞれの「老い」の独自性と、共通性が浮かび上がる。
短歌7月号より、ベテランの方の印象に残った歌を挙げる。
ふるさとの稲架(はざ)みな低し友幾人祖(おや)の残しし棚田を守る 加藤嘉昭
子らはみな農継がざりき妻逝きて心やさしき友は自死せり 同
作者は島根県在住の人。「日本の棚田百選」には島根県から7か所が選定されている。風景としてみれば美しい棚田は機械化が困難で、耕作する人の苦労は並大抵ではない。「稲架みな低し」は、高齢の人々が作業しやすいよう、稲架を低く組んでいる様を端的に伝える。後継者不足は全国の農家の深刻な問題となっているが、代々の農業文化も含め、次世代に受け渡すことができなかった友人の、挫折感の深さが伝わる二首目である。
吾よりも友は十歳若き身に養老院にて間なく逝きたり 梶田久枝
夫は逝き一人身ゆえに行かされしか行くをこばみし辛さ思えり 同
「養老院」は、古い呼称で、1963年に「老人ホーム」と改称された。現在その形態により、さまざまな呼び方の施設に分類され、複雑である。作者は旧蛭川村、今の岐阜県中津川市に住んでいる。昔は殆どの村人が自宅で最期を迎えたことであろう。現在の老人ホームは社会のさまざまなニーズに応えるものであるのは勿論なのだが、「養老院」の古い響きから、作者の胸中にある理想の老後との乖離が、素直に見えてくるのである。
幾度か雪積む北国寒き春五月にも降る雪の北海道 林すみ子
士幌には九十三歳の姉が居る独り暮らしを遠く想ふも 同
作者の姉上は、九十三歳で北海道の士幌で独り暮らしを続けられているようだ。士幌は明治24年岐阜県に設立された美濃開墾合資会社が、中士幌地区に入植したことに始まる。入植者には濃尾地震の被害者が多かったという。以前私は、廃線になった国鉄士幌線の、タウシュベツ川にかかるコンクリート造りのアーチ橋を見に行ったことがある。上流の糠平湖の水位により、水中より現れたり、沈んだりする美しい橋である。名古屋に住む作者にとって、簡単に行き来するのは難しい距離と思う。遠く案ずるしかない。
咳き込みて嗽に起きる深夜二時ひたひた孤独夫(つま)と暮らすも 井上恒子
高齢者が独り暮らしを選んでも、施設への入居に踏み切っても、あるいは家族と暮らしていても、寂しさや不安を払拭することはできない。老いの歌は、ひとりひとりの声であり、同時に現代社会とふかくつながる歌でもあった。
「短歌往来」8月号は、沖縄の特集である。
小高賢が、「歌の強さと弱さ」と題して一文を寄せている。古今集的和歌の伝統に束縛されない、沖縄独自の文化の豊かさ、しかしそれは全国的観点からは、地名、風習、固有名詞への理解の難しさを伴う。また、多くの米軍基地を押し付けられている政治的緊張感が、それを作品化するとなると、状況の大きさに取り込まれ、類型的な作品に陥りがちである、というような趣旨であったろうか。
沖縄の旅人ではなく、住人となった俵万智、松村由利子の歌に自在感があった。
不意打ちの雨も必ず上がるから島の娘は傘を持たない 松村由利子
ストローがざくざく落ちてくるようだ島を濡らしてゆく通り雨 俵 万智