2021年2月15日(大沢優子)

2月号の結社誌は恒例の十首詠特集。会員、同人の別なく一人十首の作品群は読み応えがある。一頁に組まれた四人の歌の配列は、どのような編集意図があるのだろうか?

愛犬の呼吸止まりしその時は皆でかけつけ危機を脱せり  竜嶽洋子
下半身不随となりし息子の犬を嫁は大事に看護せり       同
特注の車椅子乗り歩くこと訓練なせど前に進めず        同
はばたけど飛べなくなりし鳩一羽放物線を描き落ち来る    勝 弘美
少年の一人がそつと手を伸ばしハトを両手につつみもち上ぐ   同
一夜明け鳩小屋にハトの姿なくいづこともなく去りて行きにし   同

上記二人の隣り合う作品は、「命の危機に瀕した動物」を詠う歌合せのようにも読める。特注の車椅子に病後の身を委ねている愛犬、翌日には回復して自由な空へ戻っていった鳩、ペットと野生の生き物、それぞれの異なる展開と、その背後に残る人々の思いが瞭然と見える。

また十首の歌は、連作としての力を発揮し、作者の心理の起伏が浮かび上がる。

息子ら夫婦呼びて私が一部屋を借りゐるやうな同居始まる  坪井圭子
認知症になりたる時も予想して八畳客間をわが部屋にする    同
「忘れる」といふよろこびに気付くとき人は人を憎まなくなる  同

「同居」と題する坪井氏の一連からは、安心感と不自由感とが綯い交ぜになった気持ちがリアルに伝わってくる。長い月日を経て、同居を再開することは、肉親とはいえ新たに他者を受け入れる気持ちであろう。坪井氏の作品からは、息子さんの家族に凭れかからず、自立の心が感じられて気持ちが良い。

伴侶を喪ったことを契機に、老親と子の家族が、同居を選ぶことは少なくない。子の側には一緒に住んであげる、という気分があるのは私自身にも思い当たるところである。若い方が強いのだ。老親の忍耐や身の衰えが、その境界を和らげてゆく。親の側には束縛感もあったのだろう、と今は分かる。

2月号では十首詠の他に、「本誌歌人コレクション②」として、春日井瀇が取り上げられている。大正元年に始まる戦前から戦中、戦後の歌および略譜が載せられている。

・戦前詠
すみれ野や金髪の子と宵月に唱歌うたひぬ六つの日の恋
吾子ゆくかゆくかと母は門に立ち羽織の襟を折りたまひけり

・戦中詠
皇紀二千六百余年威跡汚すべからずあくまで勝たむ

・戦後詠
あかつきのかはたれやがて澄みゆかむ茜となりくやまの端の空
月のうちほとほと病めりかにかくに死をば思はぬ愚かさのまま

戦中詠の類型性をのぞけば、滋味にあふれた抒情的な作品である。

『歌人回想録 2の巻』(ながらみ書房刊)に稲葉京子は、初めて会った日の春日井瀇の印象を次のように書く。「全く短歌と縁がなかった私はその時何を感じたか、その紳士の気魄や品格の源に在る短歌というものが、とてつもなく深遠なものであるように思ったのである。」また「春日井瀇は、気骨と情愛の人であり、野心に遠くむしろ含羞の人であったという気がする。」とも回顧する。

私は、昭和54年に82歳で亡くなられた瀇先生とお目にかかった最後の世代になるのだろう。姿勢の正しい方であった。

次に、最近第62回毎日芸術賞を受賞した、水原紫苑氏の第十歌集『如何なる花束にも無き花を』(本阿弥書店刊)を取り上げたい。

本来の古典的な技巧を駆使した美的な作品に加え、近来は肉親を詠い、社会への批判的な歌も目を引く。時にあまりに直截な表現ともおもえる作品を通して、何を語ろうとしているのだろうか?   

共に陸軍中尉。母の兄なる伯父は商人の子にして應召、戰死し、職業軍人なりし父は戰後、母の家に入る。
伯父在りせば、父母は婚姻せず、わがいのち無からまし。
われは戰爭の子なり
大日本帝國に殺されし伯父捨てられし父われを創るも

被害者にして加害者たりき
マルクスを讀みしこと、チーズを好みしこと、戰地にて住民を壕に入れし
こと、つたへきくのみ
沖繩戰に死にたる伯父よ一生われにきみがうらみをうたはせたまへ

それぞれ長い詞書があり、水原氏の心情を語っている。

1959年生まれの水原氏が「われは戰爭の子なり」と表白するに至るまでの気持ちの推移には、さまざまな曲折があったであろう。歌集の刊行日を2020年8月15日としているところにも、強い意識が感じられる。自らを夢幻能のワキとして、この世に想いを残したままの死者たちに語らせようとしていると思えば、これまでの歌との連続性も見られる。

「一生われにきみがうらみをうたはせたまへ」のひらがなのみの下句は強く美しい。

「うらみ」は無論、怨みをのみ言うのではない。『長恨歌』の「ながきうらみ」であり、芭蕉の「行く者の悲しみ、残る者のうらみ」と同根のものでもあろう。

歌評(月2回更新)

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