2012年4月15日(鷺沢朱理)

「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」
(マルクス=アウレリウス『自省録』、神谷美恵子訳『岩波書店』、2009年)

こんな気持ちで自らのなすべきことを定め、それに向かって動けたら。このストア派のローマ皇帝は、私に別の仕方で考え、行動すること(不可避のもの)を求めているようだ。「自己サイズ」に軽く、薄く、小さくなった今世紀の短歌の中に豪華なもの、華麗なもの、派手なもの、スタイリッシュなもの、エレガントなものの価値を認め、また歴史の古層からも探したい。節制を是とするストア派の倫理と表面上異なろうが、根は同じ情熱にある。

歌評を始めたい。本誌四月号から。

声帯を切除されたるこの犬にせめて押し殺す呻きのあれな 斎藤すみ子

太く力強い作風はここにもよく表れている。声帯、切除、せめての「せ」がフーガをなして、聞こえぬはずの呻き声(まるで最低音のバスのように)まで聞こえてくる。犬は鳴くことを奪われた訳だが、この歌には逆に声が、それも痛々しい声がこだましている。

冷えとほる真洞(ほら)に光ります星はサフォーの瞳(め)の彩(いろ)サファイアの蒼 
青山汀

短歌における色彩技法は修辞・着想・モティーフと同じくらい必須なのに、体系的に述べている人はいない。私は歌学としてのそれを執筆中であるが、この歌でも色をどう歌うかに大きなエネルギーがあてられている。サフォー(サッフォー)は古代西欧の詩人である。興味ある人は調べられたし。むしろ、冷え、光、サファイア、蒼などイメージの縁語的性質がこれでもかというほどの重複をもって語られる点が重要だ。光彩の鮮明さが読者に伝わるにはそれくらいの厚塗りが必要だったと思いたい。それほど言葉で色の感じをリアルに伝えることは難しいのである。が、これをくどいとする人もいよう。好みを超えて技法上の論題としたい。

白金のキログラム原器パリにあり女王蜂の耀きを見せ 伊神華子

「白金」ははっきん、しろかね、プラチナといろいろな読み方が可能だろうが、ここでははっきんを取りたい。そうすれば「き」が連続して調べも豊かになるからだ。二〇一一年パリで開かれた第二十四回国際度量衡総会で百年以上重さの単位の目安となっていたキログラム原器が廃止になった。作者は見過ごされがちな時事ニュースをテーマに作った。モティーフの選択がよい。全世界の分銅やらハカリの中心に女王然とした原器がある、という発想だ。ただ、上句の硬質な響きと輝きを引き受けるものとしての下句としたら、少し語感的に緩い。

「短歌研究」(短歌研究社)一月号より。

ライン川を隔ててフランスの原発がこまやかに愛を送るといふが 岡井隆

「南ドイツの旅のあとさき」一連から。ドイツは反原発政策を進めるために、フランスから電力を供給している。こまやかに愛を送るという皮肉めいた言い流しと末尾「が」への思いの込め方に硬軟の巧みさを感じる。

硝子器に果実酒は饐え薄闇のタマラ・ド・レンピッカ六十六歳 藤原龍一郎

アールデコを代表する画家タマラ・ド・レンピッカ。一九八〇年に八十二歳の生涯を閉じた。晩年のレンピッカは才能が枯渇し、衰えた腕で自らの絵の模写をしていたという。その頃の絵は、往時の憂愁も独創の影さえもない。一九七〇年代に若い頃の作品が再評価されるが、直前の六十六歳はつまり彼女が画家として忘却の淵にあった頃であろう。果実酒が饐えたとは、燃え尽きた彼女の才を指しているのだろうか。この歌の物憂げなところもレンピッカの栄枯盛衰やその画風によくあっている。「硝子器に果実酒は饐え薄闇」の語感がよくない気がするが、どうだろうか。

 

歌評(月2回更新)

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