2019年11月15日(吉村実紀恵)

猛暑、猛烈な台風を経てようやく秋めいてきたと思ったら、もう冬将軍の到来だという。目まぐるしい季節の移り変わりに心身ともに疲労気味であったところ、和辻哲郎『風土』を読み返したら、以前に読んだ時よりも腑に落ちる感覚があった。

本書ではモンスーン、砂漠、牧場の風土的三類型を設定し、それぞれの風土の特性が人間の思考や文化の形成に与える影響を考察している。日本の属するモンスーン地域の人間は受容的・忍従的であり、寒冷地や沙漠に暮らす人間に比べて自然に対抗する力が弱いと和辻は言う。その理由は「湿潤」の持つ二重性から理解できる。「湿潤」は夏には豪雨、暴風、洪水をもたらし、冬には大雪を降らせる。その荒ぶる力で人間の生命を脅かすこともある。一方で、暑熱と湿気を条件とする草木の生い茂る国土において、湿潤とは自然の恵みをもたらすもの、人間の生命を育んでくれるものでもある。

考えてみれば、神道の神々には荒魂と和魂という二重性がある。だから日本人は天変地異をもたらす神の力を畏れ、自然の恵みをもたらす神の力を敬う。砂漠の乾燥もまた人間に死の脅威を与えるが、湿潤のように、同時に人間を生かす力によって襲い掛かるのではない。砂漠の人間は自らに宿る生命力でもって、死なる砂漠、死なる自然と戦うのである。

モンスーン的な忍従性もまた日本の人間において特殊な形態を取っている。単に熱帯的な、したがって非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもなくして、あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。暴風や豪雨の威力は結局人間をして忍従せしめるのではあるが、しかしその台風的な性格は人間の内に戦闘的な気分を湧き立たせずはいない。だから日本の人間は、自然を征服しようともせず、また自然に敵対しようとしなかったにもかかわらず、なお戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならざるあきらめに達したのである。(和辻哲郎『風土-人間学的考察-』)

日本人の忍従の態度には反抗が含まれており、それは台風のように突発的な感情の嵐となることもある。しかしその後には突如として静寂なあきらめが訪れる。短い生をまっとうして潔く散る桜に美を見出す感性であり、武士道的精神である。

最後までこころ清(すが)しく生きむと思(も)ふ稲妻に打たれみどり美し
池上 昌子

稲妻、すなわち雷は自然の脅威であると同時に恵みでもある。稲妻という語源からしてそれを物語っている。稲の結実時期に雷が多いことから、電光が稲を実らせるという古代の信仰が生まれたのである。「稲妻に打たれみどり美し」には、受容の中にも自然への静かな反抗を感じる。突発的な自然の脅威を稲穂のようなしなやかさで受け止め、自らの精神を育むものに毅然として転化したのである。

かうもりをとざしてあゆむ朝のみち墨絵の空にかばはれながら 川野 睦弘

傘は雨や日差しをよける道具だが、黒々として男性的な印象をもたらす<かうもり〉は、西洋傘が文明開化の象徴であった時代の威圧感でいっそう強く人と自然との間を遮る。しかし閉ざされたこうもり傘はその威力を失い、墨絵色の朝の情景の一部と化している。ささやかな抵抗としての傘を閉ざし、豪雨をもたらす空そのものに「かばわれている」と詠う作者の自然への寄り添い方は、健気ですらある。そんな作者の姿もまた、静謐な朝の情景のなかに溶けてゆく。

陽の強き旧街道の松並木陰となるよう車間保てり  稲熊千代子

江戸時代、家康の命によって街道沿いに植えられた松並木は、夏には旅人たちに木陰を提供し、冬には風雪から守ってきた。人間を自然の脅威から守ってくれるのもまた、自然なのである。自然に対立する文明の利器としての車はここではなりをひそめている。エアコンの効いた車中にいながらも、結局頼りにしているのは木陰。かつてこの街道を往来していた駕籠かきが木陰に涼を求めたように、作者のハンドルは木陰を求めておずおずと車を従わせている。

続いて、松村由利子第五歌集『光のアラベスク』より。

あねったいという語に絡みつく暑さねっとり雨季が近づいてくる
心より皮膚は素直に馴染みゆくものみな湿る島の六月
にっぽんの大気は湿度高きゆえ和製マクベス血なまぐさくて
冷蔵庫「強」のままなる島の冬弛緩してゆくわが二頭筋

モンスーンの影響を受ける日本の中でも、亜熱帯に属する沖縄に移住した作者。ある土地の気候風土が皮膚に馴染んできたという感覚は、ある程度の月日をその土地に暮らしてみて獲得できるものである。しかし風土が心に、人格や感性にまで影響を及ぼすようになるまでには、もっと長い生活の年月が必要となるだろう。

火の匂いさせてあなたは踏み入れよ緑滴るわたしの森へ

作者にとって<森>とは、歌の世界に繰り返し現れる大切なモチーフであるようだ。皮膚感覚のみならず、いよいよ心も沖縄という風土に呼応し始めたということか。そんな精神的な出会いが果たされたことを象徴する歌のようにも読めた。風土とは、人間の存在の仕方を決めるもの。作者の内的世界へ迎え入れられた<沖縄>は、今後どのような歌の境地を開いていくのだろうか。

歌評(月2回更新)

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