2021年3月15日(三枝貞代)

なに捨てむ何を捨てむと思ひつつかけがへなき日が捨てられてゆく 安藤なを子

終活をそろそろ始めなくてはと、自分の生活園にある品々を処分していこうと取り掛かったのだが、迷うばかりで一向に片づけははかどらない。迷う気持ちのみで一日が終わってしまう。人生後半の大切な一日を簡単に捨てている気持ちにさえなる。捨てるを三回使っているが、そのリフレインが微妙に響き合っている。終活を始めた人なら誰しも感じる心の揺れと焦燥感が迫ってくるようだ。安藤氏の単純化された歌に、とても魅力を感じた。

斎藤茂吉『短歌初学問』のなかに次のような言葉がある。「単純化の行はれた歌は一読して曲が無さ過ぎるやうにもおもふがよく味わふと却って複雑な気持ちの出てくるものが多い。」 短歌を再開した時にまず手にしたのは、永田和弘の作歌のヒントであった。その永田和弘の本の中から以下を抜粋してみる。―以下抜粋―

単純化の大切さはすでに近代短歌以前にも作歌における大切なポイントとして述べられていたようで茂吉は同じ文章のなかで、「短歌と単純化の問題はもつと根源に行くべきであり、賀茂真淵が『その心多なりといふも、直くひたぶるなるものは詞多からず』といつてゐるのは短歌単純化の根源を喝破して何とも言へぬ味ひがある」と言っています。いかにも茂吉らしい絶賛の仕方である・・・     ―抜粋終わり―

推敲の過程で、一首からどれだけ省略できるか、言い過ぎている表現や言葉はないかを見直していこうと改めて思った。安藤氏の歌は、これ以上削れないほど平易に詠まれているが、過ぎてゆく時の無常さを静かに伝える。

ワクチンをダーツのごとく腕に射つ的中したるかタンパク設計   日比野和美

新型コロナワクチン接種が日本でも2月17日から医療従事者向けに始まった。このワクチン(mRNAワクチン)は筋肉注射であるから、直角に注射針を刺す。筋肉のなかは血流が豊富で免疫細胞も多く分布しているため、筋肉に注射されたワクチンの成分を免疫細胞が見つけやすいのだ。日本医師会が筋肉注射について、「注射針を斜めに刺入している報道が見受けられるが注射針は必ず直角に刺入してください」と2月26日の日本医師会新型コロナワクチン速報第5号に掲載しているのはこのためである。

ワクチン接種を報道で見ていると、特にこの比喩が的を得ている。三句目の「腕に射つ」が効いている。ワクチンとして接種されたmRNAが細胞のなかに入ると細胞がもともと持っているmPNAからタンパク質を作る仕組みを利用してスパイクタンパク質が作られるのだ。作者はこの過程を充分承知しているから、四句目、結句へと広がっていると受け取れる。

初春のまだ覚めやらぬ木々の間に銀の芽吹きを沙羅の木宿す    岩畔 勝子

一読して、読後感の心地良い歌だと感じた。巡る季節に自然と感謝したくなる。沙羅の木の芽吹きにのみ焦点を絞って詠んだ、定型にのった調べの美しい一首である。作者の感情や思いが言葉として入っていなくとも、充分に早春の訪れを喜ぶ作者が見えてくる。沙羅の木は日本では夏椿と呼ばれている。銀の芽吹きと表現したところに詩情がある。岩畔氏は花や木に愛を注げるやさしい気持ちの方なのであろうと感じた。

2020年12月15日に短歌研究社より上梓された神谷由希氏の第一歌集『火の滝』をご紹介する。長い長い波乱の時を経て、ご出版の夢が叶いましたことを心よりお祝い申し上げたい。解説は大塚代表、栞には米川千嘉子氏と黒瀬珂瀾氏が寄稿している。

神谷氏は今は亡き中部短歌会の稲葉京子氏に長く師事されていらっしゃった。横浜の「朝日カルチャーセンター」で初めて稲葉京子氏と出会い、その時より歌集の出版を勧められていたとある。すでに歌集を編まれる力をお持ちでいらっしゃったのだろう。

神谷氏がその気持ちを固めつつあった矢先、ご主人の急死に見舞われてしまう。やっと立ち直り、いよいよ歌集をまとめてみようと準備を進めていた2015年にはなんと今度は一人息子さんの突然の死に襲われてしまったのである。これほどの不運があろうか。神谷氏とは結社の全国大会でお会いする機会があり、その理知的で品の良い風情が女性の私からしてもとても魅力的に感じる方である。あとがきを読ませていただくまで氏が歩まれていらっしゃったその苦難の道も悲嘆の日々も存じあげなかった。

耐えられないほどの慟哭の日々を送られたことでしょうと思うと、胸が痛み涙がこぼれてしまった。神谷氏は、その悲嘆のなかで欠詠することなく続けてこられたのは、一緒に学ぶ歌の友人たちの後押しがあったからだと記されている。

神谷由希氏をよく知るふたりの歌人、米川千嘉子氏と黒瀬珂瀾氏の栞文、そして大塚代表の解説には氏にたいする深い信頼と愛が感じられて、『火の滝』を深く鑑賞させていただける道しるべとなった。

味読させていただくほどに、『火の滝』の作品一首、一首には崇高な精神性、そして研ぎ澄まされた詩的感覚を感じた。その耽美な詩魂は前代表の春日井建の歌世界に通じるものではないだろうか。

寒き朝たつた一人で逝かせしを灼かるるやうに思へり今も
くれなゐも交る花々の央(なか) 支へればもの思はざる子の頭(づ)のおもし
ひるがへる燕に見たり今生に会わざりし人の少壮の眉宇
人類より自分を悼み水仙の青き刃先を踏みわけてゆく
空中に火の滝降りて我が行けぬひとつの堺(さかひ)おのづと展く

読むほどに一心に言葉を紡ぐ神谷氏の歌世界へと誘われる。2005年に中部短歌会へ入会され、2017年には短歌賞もご受賞されている。また、現在も盟友の大沢優子氏、長谷川と茂古氏たち仲間と、関東歌会の常連としてご活躍中である神谷由希氏のますますのご健詠を心よりお祈り申し上げます。

歌評(月2回更新)

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