2017年4月1日(大沢優子)
桜の花だよりが届くようになったが、四月は雪の予報も伴う寒さに始まった。例年に増して乱調子の春の訪れのようである。
歌をどう読むか?というテーマの特集を、よく総合誌で見かけるが、短歌作品を読みながら、その鑑賞の本道から外れ、脇道にそれてゆくように、とりとめのない想念にとらわれることがあるのは、私ばかりではない気がするのだが……。それは主として歌のなかの言葉への反応から生まれてくる。
そのような歌について、三月号結社誌より拾ってみたい。
美しき少年の血青く流れ出で童蒙少女の髪に溶けゆく 清水美織
両性具有の美少年、ヘルムアフロデュトスを主人公にしたギリシャ神話から展開してゆく一連であるが、「童蒙」という言葉を久しぶりに目にした。古くは、御子左家と対抗する六条家の歌学書『和歌童蒙抄』などがあるが、近世以降、「女子童蒙」とセットのことばで教導すべき者として使われた。ここでは「分別のない」というくらいの意味であろうか?何か古い物語の挿絵を開く感じがある。
南(みんなみ)の離島を囲み押し寄せる千波万波の冬の荒波 左山 遼
「千波万波」は、大時代的で、冒険活劇のような言葉だ。「波」が三回も繰り返されるのはどうだろうか。「荒波」は「荒海」でも良いと思われる。剛のしらべが快い歌であり、実景というより、作者の観念より発している歌という感じがする。久しぶりに波津彬子の漫画、雨柳堂夢噺『千波万波』を取り出す気分になった。
朝な朝な生まれかはつて生きかへるまでの昏迷なきにしもあれ 菊池 裕
「朝な朝な」はやさしい言い回しであり、万葉集にも遡る言葉だ。この六音を用いるより、若い人なら「朝あさに」というのが普通であろう。やや古めいたこの言葉に始まり、句跨りを含む息の長いフレーズが、「昏迷」という医学用語、一首のなかで唯一の漢語を引き出すところで、突然の転調を遂げる。「なきにしもあれ」も結句として不思議なひびきをもつ。どうしても心の中に「なきにしもあらず」と読みたがる習性が頭をもたげ、それが中途半端に置き去りにされる感じが、昏迷を印象付ける。さらりと読めるのだが、技巧の歌といえる。
伊万里めく絢爛の壺の蓋に立つ獅子がしら吼ゆ虚くる吾を 大塚寅彦
ヘレンド展の題の五首のなかの一首。かの皇妃エリザベートも愛したという名陶であるが、オリエンタルな壺なのだろう。意味は漢字から伝わるのだが、「虚く」が読み難く、本人に伺うと「うつく」と言われた。なるほど、口語の「うつける」はわかるが、文語の下二段活用の連体形は「うつくる」となる。だが、辞書に語意は説明されても、用例は挙げられていないので、他にどのような先例があるのかわからない。ただこの言葉を知ってみると、「うつける」では俗に傾く。文語によって、美術品の中の獅子がしらの咆哮を幻に聴くかのような作者のみやびな時空への共感も生まれてくるようだ。
日並べ(けならべ)て下句の修(をさめ)にわづらふに朧の意識に八雲成りあふ 水上令夫
自身の歌の推敲の過程を詠んだ歌である。推敲は歌のテーマとして稀なものではない。しかしこの歌は用語の古雅な点において、異彩を放つ。今、歌を詠む人のなかで、「八雲の道」など意識している人がどれほどいるのだろうか?口語が主流になる時代の中で、作者は歌学者のような謹直さをもって詠歌している。この歌は、推敲を重ねても納得する作品が得られず、疲れ果てた忘我の彼方より突然ピタリと定まる表現を得た時の歓びが詠われているのだろう。状況は納得がいく。私はその真摯な姿勢に遠く及ばぬものを感じつつ、「八雲」という言葉を襟を正すおもいでふりかえる。
知らない言葉に立ち止まり、また忘れられつつある言葉からよみがえる新たな言葉の命に思いを馳せ、歌の言葉の脇道散策はなかなか楽しい時間である。
角川短歌4月号は、稲葉京子先生の追悼の特集が組まれている。
追悼文を、大塚寅彦、吉川宏志、黒瀬珂瀾の各氏が寄せている。それぞれ、生前の関りのあってのことではあるが、書き手がみな男性歌人であるというのも、女性的な歌の作者であった稲葉先生を思うと面白い。なかで吉川氏が、人を恋ふ心なかりせば須佐之男は流るる箸を見ざりしならむ、という『しろがねの笙』の一首をひいて、稲葉短歌の「恋ふ心」を語っていた<欠けたものを「恋ふ心」>に共感した。
古谷智子氏が代表歌三十首を選んでいるが、十四歌集の中からの三十首は難しい作業であったと思う。辛い思いで、取り上げられなかった歌もたくさんあったことだろう。やはり、愛唱する歌は、『ガラスの檻』『柊の門』『槐の傘』の、初期歌集のなかより挙げられていた。
雪降れり繰りひろげゐる愛怨も身の高さにてほろびゆくべし 『柊の門』
のように切迫した感情の激しさのある初期の歌に、若々しい魅力があると私も思う。多くの人に読み継がれていってほしいと思う。