2020年11月15日(三枝貞代)

創立九十八周年「短歌」全国大会が11月22日に予定されていたが、新型コロナウイルスの更なる感染拡大の懸念から、参加する会員の安全を最優先にし、今年は中止となった。11月12日のニュースでは、国内の新規感染者数が一日当たり過去最多の1651人と発表された。早くから、中止の決断をされていた大塚代表はじめ選者の先生方、また役員の皆様のお考えは正しかったと思う。かわりに会員全ての方々が投稿に参加できる「誌上全体歌会」が開催される。編集後記に杉本先生が書かれていらっしゃるように自宅を離れられない方も参加可能であり、コロナ対応の新しい様式であるというお言葉は本当にそうだと思う。米製薬大手ファイザーが開発中のワクチンの有効性を示す治験結果が公表され、菅義偉首相は「来年前半までに全ての国民に提供できる量を確保する」と強調している。

中部短歌会創立百周年を迎える2022年には、収束していますようにと心から願う。

結社誌「短歌」11月号より。

宙吊りの店の自転車いつせいに銀輪めぐれ朝日さすとき      大塚 寅彦 

掲出歌はタイトル「店」より。自転車店には色とりどりの自転車が吊るされているが
標準的な仕様でサイズ違いの既製品を<吊るし>というらしい。既製品=完成車は大量に売るためにある。買ってくれる人が現れるまで吊るされている自転車を見て、作者はやるせない気持ちになったのであろう。さあ自転車よ、朝日にその銀の車輪を動かしてみよ。そして野山を街を自由に駆け巡るのだ。待つだけの人生はつまらない。わが道を切り開いて行ってこそ、生きる意味があり面白いのだという作者の声が聞こえてくるようだ。四句目の「銀輪めぐれ」の表現に作者の心が投影されているのではないだろうか。

雨上がり月の照らせば軒畔を親子狢(むじな)のうろちょろしおり  田中千代美

青環集より引く。月光の射す軒畔に、よく見ると親子の狢(むじな)がうろちょろしているではないか。狢(むじな)は、アナグマの異称、タヌキをムジナと呼ぶこともある。一日雨が降り今日は何も口にしていないのかもしれない。作者の家に来ればまた何かご馳走が貰えると思った親子だ。結句「うろちょろしおり」で物語を終わらせているところが旨い詠みだなと思う。読み手は、その狢(むじな)の親子は餌をもらえたのだろうか、何ももらえずねぐらへと帰って行ったのか、などとそれぞれ想像を膨らませることができる。

童話のなかの一場面のような長閑な田舎の情景が立ち上がってくる。淡々とした詠みながら、狢の命を包み込むような月光には、生き物にたいする作者の思いやりが重なっていると感じる。気負いのない、また理屈のない良い一首だと思う。

レトルトのおでん温める熱暑の日ひとりの夕餉以外にうまし    清宮 純子

紅玉集のトップに掲載された六首のなかの一首。2020年夏は各地で記録的な猛暑日が続いた。一首のなかに「ひとり」とあるから、伴侶を失くされてのひとり暮らしであろうか。おでんは冬の代表的な家庭料理、鍋にあふれるほどの具を好き好きに取り、家族揃って食べる美味しさは寒さも忘れる。夏、ひとりで食べるレトルトのおでんに虚しさや寂しさを感じると詠めば平凡で、予定調和の一首になってしまう。そんな感傷的な感情よりも、ほんとに実感として思いのほか旨かったのだ。結句で「以外にうまし」とさらりと言うその心意気に惹かれた。独り住まいの人生も捨てたものではないなあという感慨も込められているのではないだろうか。作者を知らなくても、前向きで明るい生きざまが感じられる歌である。 

名を呼ばれ重き瞼を開けたれば摩周湖のような医者の目と合う   早川ともえ

麻酔から目覚める頃、担当医に名前を呼ばれた作者。四句目、摩周湖のようなという直喩がこの一首の眼目である。摩周湖が日本で一番透明度が高いと知らない人はいないであろう。赤ちゃんならいざ知らず、大人で摩周湖のような目とは大げさではないのと思われても作者は構わないのだ。なぜなら、手術を執刀してくれた医師または主治医が真っすぐ自分に向けてくれる目に、いたく感動したのは事実なのだから。心からの信頼を寄せている作者からすれば、麻酔から目覚めて初めて見る医師の目は何物にも代えがたい美しいものだ。作者の心情が静かに伝わってくる。

円錐をいよよきわめてメタセコイヤは九月の空に接吻むとす    洲淵 智子

滋賀県高島町の農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線には、延長約2、4kmにわたりメタセコイヤが約500本植えられている。春の芽吹きに始まり、夏の深緑、秋には見事な紅葉、そして冬の裸樹と雪景色、その四季折々の素晴らしい光景は訪れる人々を魅了する。平成6年、読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に選定されている。10月に琵琶湖へ行ったおり、このメタセコイヤの並木を初めて見た。まだ紅葉には程遠かったが、空を覆い尽くす500本の緑の大樹に圧倒された。

作者が見上げているメタセコイヤが一本なのか、並木なのか、また場所もわからないが九月の空へ向かってますます成長するその壮大さに作者は感嘆しているのだ。結句「空に接吻むとす」が斬新な表現だと思う。メタセコイヤの大樹と、接吻という慎ましい小さな行為の対比に以外性がある。微笑ましい行為の発想が一首を詩情豊かにしていると思う。

日本経済新聞出版社から2011年に刊行され第60回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した小池 光の「うたの動物記」が文庫になって2020年10月に発売された。

先人たちの詩歌に登場する動物たちをテーマにした105編のコラム集。105種の動物を飾らない文体で歯切れよく、すぐにその動物の生態に迫る時もあれば、その動物が詠まれた万葉集から現代短歌、俳句、詩へと幅広くユーモラスに鑑賞している。その面白さに声を出して笑ってしまう。現代を代表する歌人小池 光の珠玉のコラム105編に幸せをもらえる、本当にお薦めの一冊である。

歌評(月2回更新)

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