2015年1月15日(中畑智江)
あけまして、おめでとうございます。
2015年最初のHP歌評ですが、結社誌「短歌」昨年12月号の作品をご紹介させていただきます。
あの人もあの人も秋の風をはらみ楽しげにわが前をゆくなり/稲葉京子
私は静かに静かにすわり心の中で足踏みをしてゐる/同
若いころから歌を愛し、歳月を詠んできた作者であるが、現在は病のため、目がほとんど見えない状態とうかがった。
一首目の「あの人」は故人だろうか。身体の自由を奪われた作者には、肉体から解き放たれた故人が「楽しげ」に感じられるものかもしれない。しかし二首目は現実に返り、現状のもどかしさが詠われている。韻律を大切にしてきた作者の、やや破調の歌だ。
女人なる深井のおもて汲みがたき悲のみづ想へば秋闌けにけり/大塚寅彦
(ルビ:闌=た)
「深井」とは能の面のひとつで、子供を失って狂った女性を表す。「深井のおもて」とは、深い井戸の「水面」という意味と、深井という「能面」の意味を持つと言える。湛えられる水は必然的に「悲」。深い井戸の水も、狂女の想いも、それぞれ「汲みがたい」。そんなことを思うとき作者のこころの秋は極まるのだと言う。
書肆侃侃房から昨年12月に刊行された、新鋭短歌シリーズの17番目『いつも空をみて』より。作者は「未来」所属の浅羽佐和子さん。ワーカー、妻、母、それらすべてを担わなければならない現代女性の苦悩が、くきやかに描かれる。
幼な子とみる空の色いつもいつも青じゃないのに青ですませる
青空に手が届かなくてももういいやこの子がこの子でいてくれるなら
青空を知らないだろう、ああ男になりたいそれも無能な男
最上階の窓から飛び降りゆっくりと着地する青いプリーツスカート
母親になると自分の事はいつも後回しで、諦めなければならない事も多くなる。しかし、どれだけ自分の時間を削っても、子供の気持ちに完璧に応えることはできない。育児中の葛藤は、大抵、父親よりも母親の方が強い。立場としては双方同じ「親」だというのに。
苦しむ日々の中で見上げる青空は、憧れあり癒しでもある。しかし頼って見上げたところで、そこに答えはない。空とは、逃げ道を示さない厳しい現実を付きつける存在でもあるのだ。
最後の一首。洗濯物を落としただけだが、孤独な育児に苦しむ一連を読んでいくと、作者が思いあまって飛びおりたようでドキリする。母親の揺れやまない心に、強い共感をおぼえた。連作まるごと、さらには歌集全体で味わいたい一冊。