2011年12月15日(宇都宮勝洋)

今年もあと半月を残すばかりとなった。東日本大震災やその後の原発事故は、まさにこの国の一大事であった。今後の見通しは暗い。来年も気をひきしめてかからねばならない。

[本阿弥書店「歌壇」12月号より]

樺美智子の墓さがしたりもう誰も知らざる人という声あれど 小高賢

「生と死」という連作の中の一首で、次に「ヒロインに二人の美智子ありしころ思いつ頭(こうべ)を下げて帰りぬ」が続く。もう一人の美智子は正田美智子で、現皇后である。小高氏にとっては、樺は思い入れのある人物で、墓前に頭を下げたのだ。

樺に関しては、没後50年の昨年5月、江刺昭子著『樺美智子 聖少女伝説』(文芸春秋社)が刊行されている。樺が生きていれば今のこの国の現状をどう思うだろうか。

経済の成長をすぎ地下鉄の減速したるこの世の時間 加藤孝男

初句から四句が結句「この世の時間」の修飾となっている。「経済の成長」が地下鉄の駅のように描かれていて面白い。もちろん地下鉄がこの国の暗喩で、その減速はこの国の衰退に他ならない。それ故に「この世の時間」の不安がいや増す。簡潔な文体で、なによりも分かりやすい一首だが、使われている表現技法は高度だ。

[中部短歌会「短歌」11月号より]

放射能に汚染されたるキャベツ残し農家自死せる記事は小さし 宮里勝子

新聞記事の内容を叙したものだが、記事の悲惨さゆえに心に残る一首。「記事は小さし」には、原発事故や放射能汚染の記事があふれ、人がそれに慣れてしまっている現状へのアイロニーが感じられる。

蒼じろき皮膚いちまいの下に棲みきしきし喋る己が骨たち 神谷由希

重労働をして足腰がガタガタになり、骨が痛む状態を喩えたものだろうか。いや、違う。やはり、書かれたとおり、自分の骨がきしきしと喋っているのだ。そういう感覚の歌なのだ。面白い。こんな不気味な、喋る骨の歌は初めてだ。常識では考えられない表現は、それがそのまま歌の魅力となるだろう。若き春日井建は『未青年』の中で、赤い怒濤を書いた。即ち、「海鳴りのごとく愛すと書きしかばこころに描く怒濤は赤き」である。

歌評(月2回更新)

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