2012年3月15日(近藤寿美子)

東日本大震災から一年が経った。角川『短歌』三月号では「3.11以後、歌人は何を考えてきたか」をテーマに、世代別の座談会を掲載している。五十代以上では来嶋靖生、佐藤通雅、沖ななも、渡英子が、また三十代以下では、田中濯、光森裕樹、三原由起子、石川美南が議論を交わした。司会はいずれも小高賢である。被災した人と被災していない人との温度差について、福島に住む三原の「距離の問題ではなくて人間としてどう思うか」という言葉が印象に残った。それぞれの思いが歌となり、また、思いの深さから歌とならなかったものもあり、再びの3.11を迎えた。今後、震災・原発の歌はどのように表現が深められてゆくのだろうか。ここでは震災関連の歌をあげてみたい。

まずは、結社誌三月号から。

日の出待ち親知山の後方仰ぎおり曇り日の空うす赤く染む  大谷宣子

親知山(新地山、新知山とも)は福島県白河市借宿地区にある小さな山である。別称、不忘山といい、古今和歌六帖には「人忘れずの山」と詠われ、枕草子には「忘れずの山」と記された。祈るように空を仰ぎながら「人忘れずの山」から昇る陽をひたすらに待つ作者。白河市に住む作者にとって、この日の出はまさに復興の喩であるのだろう。下句の「曇り日の空」からは、いまだ続く苦しさを、そして「うす赤く染む」という情景からは、これからの明るい予兆を感じとった。

耳慣れてゆく恐ろしさ大方はカタカナで書く汚染物質  大澤澄子

漢字で表記された言葉には視覚的なイメージというものがあり、瞬時にその言葉の印象を捉えることができる。けれども、カタカナで表記されたものには言葉のイメージは湧きにくい。誰もが恐怖に戦いているセシウム、プルトニウムといった言葉も、次第に流行りの洋菓子のような感覚で耳慣れて、怖れは遠退いてしまうのだろうか。

からからと日本の今を嗤ふべし骨格標本むき出しの歯は  大塚寅彦

上句の「日本の今」から誘われて、「骨格」「むき出し」といった言葉に辿りついたとき、福島第一原発がすぐに浮かんだ。福島に聳えるむき出しの骨格は、将来の「標本」として繰り返し観察、調査を行うために、保存処置を講じられるのだろう。シュールな印象の歌の中に、作者の強い思想を窺い知ることができる。

続いて、先ほどの角川『短歌』三月号から。

福島のニュース見るたびわれが持つ国外逃亡者のごとき錯覚  渡辺幸一

イギリスに住む作者である。こうした後ろめたさは、被災地から離れた国内に住む者の心にも、少なからず存在するような気がする。国外に居を構えていれば尚更だろう。ニュースを見るたびに、錯覚は心の痛みとなり、じくじくと疼くのかもしれない。

放射能の風がここにも届くとき抗ふすべなく吹かれゐるらむ  角宮悦子

多くの歌人が放射能について、怖れや戦き、怒り、悲しみといった感情を歌にしてきたが、この歌からは既にそういった強い感情は見受けれられない。日々を過ごす中で、情緒の渦をゆっくりと解きほぐし、新たな思いへと至ったのだろう。静かな歌いぶりの中から、無力さの自覚のようなものを受け取った。

歌評(月2回更新)

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