2011年11月1日(宇都宮 勝洋)
短歌新聞社の『短歌現代』が12月号で終刊となるという。『短歌現代』と言えば、中部短歌会の前主幹、春日井建とも縁の深かった短歌総合誌だ。作歌を中断していた春日井が作歌再開後、作品を発表した最初の総合誌が『短歌現代』(昭和55年12月号)だった。作品は25首、「帰宅」と題されていた。後に、第4歌集『青葦』巻頭を飾る一連である。
総合誌が減ることは、短歌を作るものにとって、とても残念なことだ。他の総合誌の、より一層の充実を期待したい。
[短歌新聞社『短歌現代』10月号より]
「大正世代、今日をうたう」の特集が組まれていて、38氏の力作がならぶ。
まがまがしき記憶を呼びて夜の地震(なゐ)は床ゆすりつつ過ぎゆきにけり 米口實
「まがまがしき記憶」とは、やはり、戦争の記憶だろうか。作者が「大正10年生」と記載があるので、大正12年の関東大震災の記憶ではないだろう。「まがまがしき記憶」が読み手の想像力をかきたてる。
次は、特集の歌ではなく、昭和世代の歌。
着メロの流れ始める胸元に手を当てて娘(こ)は森へと入る 桜井健司
彼氏からの電話だろうか。作者としては、娘のことがとても心配なのだが、娘は危険な森へと入っていく。父親と思春期の娘との心の隔たりが思われる。
[中部短歌会『短歌』10月号より]
うるるると空(くう)に震へし蜂鳥が百合の芯へとつと潜りゆく 青山汀
ロサンゼルス在住の作者は、蜂鳥を間近に見ることがあるのだろう。「うるるる」というオノマトペが蜂鳥の描写に効果を発揮している。蜂鳥は、鳥類の図鑑に世界最小の鳥(約6cm)と出ていたことを思い出す。近年、テレビ映像でも見たが、まさに、この一首のようだった。
炎昼の蝉声猛る補聴器を外して夫は静かなる壺 坪井圭子
夫を壺に喩えるとは、なんと冷たい。いや、なんと面白い表現だろう。冷たいのは壺で、猛る蝉声のなか、その冷たさにより、しんとした静かさが強調される。今日的な素材である補聴器を詠み込んだ一首で、かの芭蕉翁の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句にも対抗できる。
日を嫌ふ暗さが涼し大葭簀(おほよしず)立て掛け今日は太宰の続き 横井芳夫
「暗さ」が、太宰治の文学の例えば、『人間失格』の主人公、大庭葉蔵の暗さや、太宰自身の暗さと重なってくるから不思議だ。太宰の文学は暗いばかりではないが、さて、作者は太宰のどんな作品の続きを読んだのだろう。歌の余韻はつきない。