2020年3月15日(三枝貞代)

結社誌「短歌」3月号より。

ふくふくと暖かき風に吹かれつつ電車待つ朝「やつと、金曜」   金野美也子
何百回書いただろうか〈父母の名〉を介護サービス書類の欄に    同

三月集に掲載された金野美也子さん「待ち侘ぶる」8首のなかから引く。

毎月掲載される作者の歌には日々の生活を素直な文体で詠まれていて、実感がこもっている。一首目、駅のホームには暖冬の風が吹いて電車を待っている作者の心もふくふくとさせる。この初句のふくふくと風を感じられるのは暖かい風だからだけではない。

結句の「やつと、金曜」を迎えられたと思う、作者の安堵感より生まれた感覚であろう。老いた両親を介護する日々は目まぐるしく、気の休まる時もない。今週も何とか金曜日までこなせてこれたという、ほっとした思いが結句から汲み取れる。

2020年1月号に「秒針の聞こえる如き忙しさ前傾姿勢に暮らす年の瀬」という一首があった。次々とやらなければならない事が押し寄せる。前傾姿勢に暮らすという具体がよく効いていると思う。

二首目、高齢化社会の現実を詠んだ一首。要介護認定を受けるためには、まず申請から始まる。新規に認定された場合、有効期間は原則たった6ヶ月である。6ヶ月過ぎると更新の手続きがいる。また更新の認定が有効なのは現在上限は36ヶ月だ。認定後にも介護保険サービスを受けるためにはそのサービスごとに多くの書類に署名がいるのだ。
介護5年目だという作者の歌を記憶していたので、この何百回という具体には実感が込められている。自分を慈しみ育ててくれた両親の介護にたずさわれるのは幸せなこと、長生きしてくれることは喜びだと、作者は心から思っていることだろう。

しかしながら、言葉では言い尽くせない苦労もある。そんなやるせない複雑な心情が私には伝わってくる。

夢覚めてひとよ過ぎゆく凡凡と柱時計が夜の二時を打つ      井上清一
彼の人の名前が頭で隠れん坊上手に隠れ吾れを悩ます        同

次に特集より井上清一氏の「凡凡」の一連より引く。

毎月の誌上で拝読する井上清一氏の作品には柔らかい表現のなかにペーソスが漂う。
一首目、眠っていたある夜、ふと目覚めてしまった。見ていた夢もすっかり冷めてしまった。〈ひとよ〉を平仮名表記にしたところに作者の眼目があるのではないだろうか。一夜には違いないが作者の一世でもあるのだ。柱時計はボンボンと打った。しかし作者は単純な歌にはしない。大きな夢を抱いていた輝かしい時代はとうに過ぎて、一世というものは凡凡といつの間にやら時が過ぎてしまうものなのだなあという感慨が滲み出ているように思う。平易に選ばれた言葉であるが、その言葉と言葉が触れ合う音に作者の寂寥感を感じてしまう。

二首目、名前が出てこない物忘れは誰でも経験することだ。幼い頃の楽しかった遊び〈かくれんぼう〉に例えて、四句目「上手に隠れ」と、思い出せないことを軽妙に詠んだところが楽しい。クスっと笑わせるセンスの良さ、柔軟な思考から生まれた一首である。

出向のコンビニ勤務嫌うS「抒情せよ」とう短歌のあるぞ     西川  修

西川修氏のタイトル「抒情せよ」から引く。いつまでも気にかかった一首であり、
はっきりと解釈できないのに、私を惹きつける歌なのだ。学ばせていただきたく思う。

小池光の第三歌集『日々の思い出』のなかに〈抒情せよセブンイレブン こんなにも機能してゐるわたくしのため〉という一首がある。西川修氏の四句目「抒情せよ」はこの小池光の歌を指していると考える。作者の友人かお知り合いかがコンビニ勤務へと出向になった。しかしそのS氏はどうもコンビニ勤務が性に合わないらしく愚痴も聞かされる。そんなS氏に向って下句のように声をかけて励ます作者である。

小池光が第三歌集『日々の思い出』を出版したのは1988年、1980年代はコンビニが本格的に普及し始めた頃である。小池光は第二歌集まで、抒情を湛えた歌を詠んできたのであるが、第三歌集『日々の思い出』は今までとは一転して抒情を捨てた作歌へと作風を変えたと言われている。

まず、この小池光の一首をしっかり解釈できていないと西川修氏の歌を鑑賞するのは難しい。〈抒情せよセブンイレブン こんなにも機能してゐるわたくしのため〉をくり返し読んでみる。機能には、役割を果たすことという意味があるから、作者の小池光は精一杯仕事をこなしているのである。いや、歌人として力をみなぎらせているのであろうか。そんな自分を深夜でも灯りが灯っているセブンイレブンよ私を慰めてくれよ(?)という意味か。それとも年中無休のセブンイレブンよ こんなにも懸命に働く私に変わって、休みのないお前の感情を述べてみよ(?)という事か。 いや、こんな単純な意味ではないかもしれない。西川修氏はきっと正しく解釈が出来ているから、勤務を嫌がるS氏に向ってこの一首を取り上げて励ますことができたのである。作者のその励まし方が文学的であり、発想の斬新さが魅力的である。

次に村井佐枝子氏のエッセイ「塀の中の短歌会」に大変な感銘を受けたのでここにご紹介したい。中日新聞朝刊2019年3月30日のカルチャー欄にも「岐阜・笠松刑務所 半世紀以上続く歌会」として大きく取り上げられた。エッセイを読ませていただき、また中日新聞の記事により初めて女子刑務所での短歌会の様子を詳しく知ることができた。

三十二年という長い歳月、ボランティア活動をつづけてこられたその足跡を思うと敬服の気持ちがおのずと湧く。

課外学習として「クラブ活動」が所内で開かれ、短歌、書道、絵画、茶道、合唱などがあり、外部の講師が担当しているという。村井佐枝子氏は平成二十七年一月より前任の歌人黒田淑子氏より受け継ぎ担当することとなった。

時限は月一回一時間。定員は十一名(希望者が多い時はクジだそうである)。

エッセイのなかに、教室風景は規則が厳しく、刑務官が生徒の後ろの席で座っておられるとある。生徒のプライバシ―に触れた質問をすると×が出されるとあるから、限られた一時間の歌会は歌にのみ集中する、濃密でかけがえのない時間だと思う。和気あいあいと自由に発言し賑やかな雰囲気だと記事に取り上げられていたが、それはご指導に当たる講師の村井佐枝子氏のお人柄によるものだと感じる。

以下にエッセイより少し抜粋させていただく。

「最初に詠草一覧表を私がゆっくり読む、その間に三首を互選。次に一首ずつの歌評を指名する。一時間に二度は発言するように伝えてある。自分の意見を人前ではっきり言えることは社会に出てから大切だと思うから。印刷した詠草は出所する時も持参できるらしいので、なるべく多くの作品を並べるように気をつけている。―中略―

歌集二冊分程の作品が有るが、発表する場のないのが惜しい。現在、私が一番心残りに思うのは、突然の出所に別れの挨拶もなく、激励の言葉も掛けられないことである。」
この最後の文章に突然の生徒との別れの淋しさと無念が滲む。出所された皆さまが短歌クラブ「すみれ会」の歌会で村井佐枝子氏より学ばれたこと、教えをいただいた心を忘れないで豊かな人生を歩んで欲しいと私も心より願う。

エッセイのなかに公表されている十五作品と、一首づつに歌評が書かれているので、そのままここに掲載させていただく。(NHKにも新聞社にも発表済みである)

選ばれた作品には、それぞれの作者の思いが率直に詠まれ、胸を打たれる。自身の内面を見つめたしみじみとした味わいのある歌ばかりだ。講師としてご指導されてより五年という月日が流れている。 短歌クラブ「すみれ会」の歌会が氏のご指導のもと、益々充実していかれますようにと願ってやまない。

村井佐枝子氏の熱意と真の優しさが私の心に沁みてきたエッセイであった。

ほとんど私(村井氏)の添削が入っていない、彼女たちの所内の日常詠の六首。

① 靴下の穴を縫う手のみじめさよチクチク縫ってしくしく縫って

歌評……二つのオノマトペの使い方が適切。新聞記事には心象詠で良い歌と
評して載せている。 

② 爪先の破れを縫えば思い出す部活のあとの子等の靴下

歌評……①の作者とは異なる。節約のため繕い物をするが、子供のことは
頭から離れない。

③ スマホなど触れたことさえないけれど知ったかぶりして客と会話す

歌評……「客」というのは、所内の美容院で実習をする受刑者に対して、
町の人が髪の手入れのために訪れる。評判がよいらしい。

④ ひとまわり小さくなりし父の来て「大丈夫だよ」笑みはかわらず

歌評……彼女たちの一番の楽しみは身内との面会である

⑤ 塀向こうゆれる灯りのコンビニは日本で一番近くて遠い

歌評……笠松刑務所の裏の道路を隔ててコンビニがあり、灯りが格子窓越しに
よく見える。近くにありながら行くことができない。

⑥ 姉危篤 これも重ねてわが罪かただ祈る他なすすべもなし

歌評……受刑者の常として身につまされる辛さである。
身内の不幸にも出席できない。

次に挙げる作品は短歌作品として優れていると思う作品。場所柄上、立ち位置も赤裸々ではない。

① わが胸に停まったままの列車あり待てど暮らせどいまだ動かず
② 孤独とはいずこにありても思うもの桜木の下雑踏の中
③ 私にも言いたいことはありますが唇寒くなりたくなくて
④ 削りたる色えんぴつの削りかす花と咲く咲くゴミ箱のなか
⑤ 「かさまつは何県ですか」と聞いた日の夏の青空白いブレザ―

歌評……①は我が身のやるせなさを動かぬ列車に喩え、②は孤独の諦観を詠う。③は松尾芭蕉の句を借りている。④は気がつかない物のなかの美しさを、⑤は刑務所に収容された日の記憶で忘れる事が ない夏の痛さであろう。 

抜群に秀作をしかも多数提出する女性の作品を四首挙げる。

冷房が切られへたばる工場に酸素不足の金魚となれり
たましいの重さ量れば二百グラムたましい分のみかん頬張る
天空の闇より見れば我が街は夜光虫に見ゆ小さな灯り
移りゆく世相の余波が届ききて「さん」付けされる我が名面映ゆし

歌評(月2回更新)

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