2015年1月1日(神谷由希)
皆さま、新年おめでとうございます。
「冬将軍」の形容が使われなくなって久しいが、年末は思いがけない豪雪に見舞われた地方もあり、その猛威は将軍の名に相応しい。今回の歌評は、新年早々のアップとあって、きびしい寒さと共に何となく気持ちも引き締まる感じがある。
まず結社誌十二月号より
つやつやの山栗拾えば胸内の深きところで何かが踊る 緒方 静子
連作「リフォーム」の中の一首であるが、克明にわが家の改修の様子を描写している他の歌とは、趣を異にしている。栗などを拾うのは散策の途中かと思われるが、〈胸内に踊る〉が歌を展開させた。〈つやつや〉の形容も明るさ、かろやかさを表出している。出来れば、このような一連で作品を読みたいと思った。
薬袋に「橋本ココア様」と書かれあり獣医院出れば見事な夕陽 橋本 倫子
何気ない一首と思われるが、ペットを飼ったことのある人なら、微苦笑と共に納得する感覚である。時として人間様よりペットの方が大切に扱われている世相であるが、飼主とすれば家族の一員であり、結句の〈見事な夕陽〉によって、ある感慨を引き出している。
食みたくもないのに買って呑んじまう連休初日の朝っぱらから 長瀬 ゆう子
近頃は女性の酒の歌も多くなり、それなりの雰囲気を出しているが、これは些か、自棄酒の感の呑みぶりである。あけっぴろげな所が面白いが、初句の〈食みたくも〉は〈飲みたくも〉の誤植ではないかと、気になった。
おのづから影を失ふ界ありて冷えつつ萩の夜白きひかり 篠原 偲
極めて古典的、短歌的な一首と言うべきであろう。それだけに既視感があるのも否めない。しかし短歌の持つ美しい領域が失われつつある現在、この感覚は大切ではないだろうか。〈影を失ふ界〉で示唆しているものが、〈冷えつつ〉と、〈夜〉の表出によって、相殺される気がするのが、少し残念。白萩のひかりだけで、作者の思う所は、充分顕れていると思うのだけれど。
続いて最近の歌集、服部真里子『行け広野へと』(本阿弥書店刊)より、
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾(と)く老いる犬
執拗に赤子の性器たしかめる仕草でコーヒースプーンを拭く
僕たちは舟ではないが光射すスープ店に皆スープを持って
抄出は大変難しかった。難解な所も多かったが久びさに若手歌人の中に、新鮮な詩のこころを見たような気がした。すでに多くの歌人が選評にとりあげ、今更の感があるが、内から溢れてくる感性と、それを形づくる言葉の豊かさは、並なみではない。若手歌人の中に見る、自虐と見せて自らの傷を舐めるだけの感情、周辺への無関心、日常や対人関係を詠む時のゆるびなど、そのような稚さは此処にはない。しっかりした視点が、のびやかで闊達な表現となって全体を支えている。短歌は今後、このような途を辿って変遷し、また育っていくのだろうかと思った。